あの日、
日本時間の2003年9月25日の朝。
私がバンクーバーの家で、エッセイの宿題を夜中に書いている時に父からメールが届きました。

タイトル: 秀則君が亡くなりました
本文: 秀則君が亡くなりました。(数行何かが書かれていました)

とてもびっくりしました。
びっくりして、
まずは、オーストラリアに居た主人(当時は彼氏)にメールしました。返事がすぐに電話があって、大丈夫?と声をかけてくれました。彼はいつもどんな時も優しいのです。私はまだ実感が無いと伝えました。

そのあと、ホームステイをしていたので、ホストファザーのケンちゃんにメールしました。

My brother past away today.

多分、そのくらいのメールだったと思います。

しばらく呆然として、
エッセイを仕上げなくては、と思い、エッセイを書き終えて、もし、葬儀のために日本に帰るなら、今のうち提出物などを終わらせなければと思いながら、ベッドで寝そべって、天井を見て、どうしたらよいものかと途方に暮れました。
実感が無かったのです。

数時間寝て、
いつものように起きて、
ケンちゃんと会って、慰めの言葉などをかけてもらい、落ち着いてバス停に向かいました。
雨も降っていない朝で、
誰もいない道を歩いて、長い道のりだと思いました。

授業がスタートすると、
急に弟がいない実感が湧いて、涙が出た。
オフィスアワーに各クラスの教授に会いに行って、取り敢えず私の今のこの状況を吐露しました。
どの先生も、授業休んでいいよと言ってくれました。思いの外、優しい言葉をかけてもらって、嬉しくなりました。だって、カナダやアメリカの大学は、授業を数日休むとドロップアウトになるのです。つまり、落第です。
また、留学生ビザを取得すると、年間最低履修授業単位が定められており、それを切るとビザがもらえないのです。つまり、更新できないのです。ビザは一年更新で、私はまだJunior (3年生)でした!

家に帰るとケンちゃんの奥さんと次男が遊んでいました。そっと抱きしめてもらい、初めて思いっきり泣くことができました。
彼女もまた、アメリカに留学していた時に、
北海道の実のお父さんが、亡くなった経験をお持ちでした。だから、余計に、私は、彼女が私の境遇を理解してくれていることに嬉しくて、嬉しい涙を半分は流すことができたのです。

その日の夜、アメリカ・カリフォルニアに住む、弟を可愛がってくれたKieさんに電話をしました。私は、泣きながら電話をしたので、Kieさんも困っていました。
また、カリフォルニアに住む、整体でお世話になった真由美さんにメールで報告しました。弟もそこの整体でお世話になったのです。「悲しくて涙が止まりません」というメールがすぐに届きました。

私は実家にやっと電話をかけました。
電話の向こうで母は気丈に振る舞っていました。
お葬式に日本に帰りたいと言ったら、
ダメだってお父さんが言ってるよ。お金がないんだから、帰ってきたらダメだよ。と怒られ、
聞かない私は、今度は父と電話し、帰ってくるなよ、ダメだよ。とものすごく怒られました。あの日以来、私は、両親と距離があります。私の中で、弟の葬儀より、お金を取った人たちだと思っています。お金が大事で、私のことなど、それ以下なのです。

唯一、私と全く同じ血の繋がった家族は弟だけだったのに。


私は、
弟がなくなって、13年経つのに、
未だに実感が無いのです。
まだ生きていて、近所に住むんでるんじゃないか。
明日、ひょっこり帰ってくるんじゃないか?
メールしたら、返事が来るんじゃないか?

そういうことがいつも脳裏にあるんです。
私自身、弟が成仏出来ていないんです。
良いか悪いかは関係ないのですが、
13年経っても、この気持ちは変わらないです。

弟の大学時代の友人たちが、
毎年命日のこの日に、
お線香をあげに来てくれています。
私は、いつも、お盆しか帰省せず、
ただ、この日に、実家に電話をして、
みんな来た?!
って聞くことが楽しみになっています。
母も、弟の同級生が来るのを楽しみにしています。
もし、弟が生きていれば、彼らのような姿になっているからです。
私は、あんまり、両親と仲が良くないですが、
こうして、弟が他界したことによって、遠く離れた実家にちょくちょく連絡を取るようになっています。

この日が来ると、
このようなことを毎年、考えてしまいます。