5年前の今日。
弟が、悪性リンパ腫のため、他界した。
私はこの日、もっというと、2004年9月24日は、
カナダ・バンクーバーで、UBCに提出するレポート書きのため、
徹夜でした。
朝2時ごろ、私はようやくレポートを終え、(いや、ひと段落しただけかもしれない)
メールをみた。
父から、メールが届いた。
「秀則君が他界しました」
25日は木曜日だったと思う。
メールをみて、私は眠れなくなった。
実感もなく、ただ、メールをみて、ぼーっとなった。
私のパスポートをみると、日本に一時帰国していたのが2003年9月2日まで。
弟の姿を見たのは帰国する一週間前だから、8月26日が最後となった。
帰国してから、毎朝大学へ行くとき、
バス停に行くまでの道のりで、泣いてばかりだった。
弟は、死ぬと決まったわけではないけれど、
カナダに戻ってから毎日電話したり、父とチャットしたりしていると
日々衰弱しているという、悲しい話ばかり聞かされていたからだ。
そして、他界する直前の検査では、
2003年4月20日の、私の24歳の誕生日には、3cmだったリンパ腫が、
たったの数ヶ月で15センチにまで悪くなっていた。
22日間、私は泣きながら学校へいき、
そして他界がわかったその日も、泣きながら学校へ行き、
授業中も泣きながら授業を聞き、
耐えに耐えた。
学校は休むわけには行かず、
1日でも休めば退学になる。
当然、通夜にも、お葬式にも参列などできなかったし、
経済的にも父が帰国を許してくれなかった。
卒業まであと1年を切ったところだった。
本当に悔やまれた。
もうちょっと努力していたら、最後の顔もみれたかもしれない。
そう思って、ずっと悔やんでいた。
けれど、実は、そういうふうに、後ろめたい気持ちでずっと遺族が思い続けることが、
供養にならないことを知ったのは、それからずいぶん後になってからでした。
あれから5年。
当時のあの日の出来事が今でも忘れられないです。
年々、弟との思い出が薄くなってくるのが寂しいです。