なんでもアメリカがスタンダードでいいのか? | ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

ロンドン・東京そしてNYといつの間にかいろんなところを転々とそしてまた東京に。海外なんて全く興味なかったし今もないという予想外の人生でした。今は東京に戻りしばらくお休みしていましたが少しずつ再開してみようかと思ってます。よろしくお願いします


BLOGOを読んでいたらこのような記事を発見した。

オリンピック「日本代表選手」の気概を称える!

ソチオリンピックは競技以外にも多くの話題を呼んだが、竹田恒泰氏(JOCの竹田会長の子息)の「 (1)メダルは噛むな。品がない上に、メダルを屈辱することになる。 (2)国歌君が代は聴くのではなく歌え。国歌も歌えないのは国際人として恥ずかしい。(3)日本には国歌斉唱時に胸に手を当てる文化はない。直立不動で歌うこと。(4)負けたのにヘラヘラと『楽しかった』はあり得ない」と言う「つぶやき」もその一つであった。

これに対し「Olympic代表選手だからといって、日本を背負う必要はない」 http://blogos.com/article/79976/ と言うブログ記事を書いて反論した町村北大教授は「害悪を撒き散らす言論」とまで竹田氏を非難している。

(1)選手に「日の丸を背負った」だの、「国の代表」だのと押しつけるな。
(2)「メダルは噛むな」負けたのに「ヘラヘラと楽しむな」等の注文は余計なお世話だ。
(3)こんな雑音を気にして選手が五輪を楽しめなければ台無しだ。
(4)敗北を喫しても、楽しめたからよかったとニコニコ笑って全く問題ない。

この町村先生のブログ記事はネットで大きな反響を呼び、「いいね」は9200件以上にのぼり「よく言って下さいました。もっともっと言ってやって下さい」などと賛同の声が相次いだと言う。

その主張が保守と言うより「前世紀の遺物」と言ったほうが相応しい事が多い竹田氏が、「国歌斉唱」とか「直立不動」等と言えば、町村先生が「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」に襲われる事は理解できるが、今回の竹田氏の主張は当たり前の事を言ったに過ぎない。

現に、NBCが全米で放映した各種競技のメダル授与式を見ても、殆ど全ての選手が竹田氏の求める4条件を守っているだけでなく、インタビューを受けた選手は勝敗や国籍に関係なく、口を揃えて「祖国を代表できた名誉と幸運」を誇らしげに語っていた。


少し引用が長くなったがこういうことらしい。

僕自身も竹田氏の発言に関してなんかおかしいんじゃないか?と書いた 身なのだが、この記事の筆者の北村氏は竹田氏の主張が当然だという。

ただよく読むと北村氏の理論は途中ですり替えが行われているので後半部分は納得できる部分も多くてはっきり言って竹田氏の主張と北村氏の主張はそんなに合致してないと僕には感じられた。まあ、竹田おぼっちゃまも町村って人も両極端の左右対決だから正直僕はどっちも納得がいかないんだけど。笑

ただ、僕が北村氏の言説ですごく違和感を持ったのはアメリカがやっているんだからこれが世界のスタンダードでそれに日本人も見習わなければいけないというような主張をしているところだ。

多くの日本人にとってはアメリカこそが世界だしスタンダードなんだろう。だが、こういった感覚に僕は違和感を感じる。

いや、そもそもインタビューで「祖国を代表できた名誉と幸運を口にする」…だって??むしろ全選手がそんなことを言っていることが本心を疑うしアメリカ流の人工的な国家主義の匂いを感じわけだ。(まあ、もっと言うとたいていの日本人選手は誰かに強制されなくても応援してくれた人への感謝の気持ちを述べるしメダルを取れなかった場合に謝罪する人も多いわけだが)

大統領選挙がその典型だが、公の場に奥さんだけでなく子供たちまで連れだして仲睦まじい家族をアピールする姿にも多くの日本人はなんとなくの憧れと同時になんかきな臭さ、作られすぎた演出を感じるはずだ。


要はアメリカのスタンダードは作られた国民国家・偽装された国民国家の匂いを感じざるを得ないのである。それは歴史の浅さと移民の多さから国家をまとめるためにそうしているのだろうけど。はたしてそのようなものが日本の文化や伝統に合致するのだろうか?個人的には疑問だし、やりすぎだな…。わざとらしい…。と思う人は決して少なくないはずだ。

僕は決してアメリカ嫌いでもなんでもないしアメリカと日本は似た要素をたくさん持っていると感じてもいる。だが、ロンドンにも住んだ経験から言えばアメリカだけがスタンダードと考えるべきではないと北村さんには言ってあげたいし、それ以上に日本は日本らしくあればいいと思うし各人が自分らしくあればよいと思う。

だから町村さんの主張はおかしいと思う一方で竹田氏のようにないかを強制する必要など全くないと思う。普通のアスリートならば国を代表して戦う気持ちがない人はいないだろうし、競技者としてベストを尽くし、そしてそのプレッシャーや過程も含めて最大の舞台として輝こうとするはずだ。その結果、すべてが終わった後に結果として自分は出し切ったからもう仕方ないと笑顔で楽しかったですというのが何が悪いのだろうか?(まともにスポーツをやった人ならわかると思うが競技者のいう「楽しむ」は普通に趣味で楽しむとか酒を飲んで楽しむとかとレベルが違うので誤解してはいけなくてこの件に関しては北村氏も町村氏も竹田氏も誤解していると思う)

前回も書いたが強化費の割り振りなどは結果だけに基づいて冷徹に行えばよいし、態度なども他国からあまりに恥ずかしいと思われるようなものがなければ、人間それぞれのスタイルがあるのだから自由ではないか。一方でまともな日本人ならばそんなにほかの国の人間から見て恥ずかしいと思うような態度を取るわけもないのだから。(もちろん、こいつは…というのがいたらこっそりと個別指導はしたほうがいいだろうが)

ちなみワールドカップやオリンピックでほかの国の選手でも国歌を歌ってない国や選手はたくさんいる。そんなことを竹田さんや北村さんが強制する必要はないしアメリカに見習う必要もないだろう。

そういえば、メダルをかむなという指令が出ていたらしいが…。さすがやんごとなきお坊ちゃまはコネを使って自分の理想を実現するらしい。メダルを噛むのは別に僕も美しいともかっこいいとも思わないが、そんなの自由だろうし各国メディアがその場面を要求するから選手が仕方なくやっているともいう。それが嫌ならメダルを噛むのはみっともないと命令するのではなくそういった世論や社会の雰囲気を作り出すべく努力するべきだろう。

アメリカに見習って人工的な国家主義の国に日本が陥ってしまわないようにしてほしいものだ。日本には数千年の歴史があってその上でいろんな文化や社会が成り立っている。その延長線上に我々の社会はすでに成り立っているわけで変な個人的価値観や外国の物まねを強制するのはやめてほしい。日本という伝統や文化の中で生きてきた各人がそれぞれ自分を自由にオリンピックという晴れの舞台で表現すればいいしそれがまた日本という国の価値観やイメージを作っていくのだから。伝統や慣習は人工的に作り出すものではない。


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