http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090725-00000561-san-pol
09衆院選 首相が初遊説で“お騒がせ”発言連発
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090725-00000045-san-pol
マスコミ首相報道、細田氏批判 「国民の程度表している」
今日もまた失言報道が新聞をにぎわせている。たしかに両方の発言とも失言だろう。でも、そんなことを一生懸命にマスコミ各社がこんな大々的に報道して何になるのだろうか?(スポーツ紙でもゴシップ紙でもない天下の大新聞がです)たしかに失言というのは記事にしやすい。話題にもなりやすい。それを批判するのは簡単だし、政治に興味のない人の関心をひくこともできる。でも、それ以上に何の意味があるのだろうか。正直、僕はそういった失言を報道しあう姿勢にあきれている。
たぶん、同じような気持ちの心ある人も多いだろう。そして、そういう人たちは失言報道でたとえば内閣支持率が上下するそういう姿をみて本当に日本は衆愚制のポピュリズムの国になったなと政治への関心を薄めていっているのではないでしょうか?
もちろん、失言がいいとはいえない。でもそうじゃなくてもっと政策を大きく報じて議論を巻き起こしてほしいと思う。たぶん、二番目の記事の細田発言はそういうことを言いたかったんじゃないかなあと思っています。マスコミにおどらされているそういう国民の程度は低い。と。そうじゃなくてもっと本質を見ようと。
もっといえば、政府を批判するだけでは何もよくならない。それでいて政府が何かをしてくれるんじゃないか?と期待している国民。もっと自分が何ができるか、自分にとって幸せとは何かを考えて(まさに鳩山氏の言う自立と共生です)生きていく。そういう国民が増えないと政治もよくならないし、世の中変わらないんじゃないだろうか。
そういえば、失言(?)ばかりしているイタリアのベルルスコーニ首相のことは僕は嫌いじゃないですよ。ある意味、あれくらいの豪胆さ(?)が政治家には必要なんじゃないか。そのうち発言集でも作ってみようかな。日本の政治家が小粒になったとみんな言うが、マスコミに踊らされてそういう小粒な政治家を生み出してきたのがわれわれじゃないかと思ったりもするわけです。
明日はサッカーに見に行ってきます。