「テレビ」の仕事。
テレビの仕事をしました。
企画構成ではなく、ハードウェアとしての
「テレビ受像器」の資料制作でした。
テレビという言葉が使われるとき、
今はネガティブな意味をもつことが多いですね。
電機メーカーの決算や番組批判、視聴率低下とか。
でも今回、ハードウェアとしての
テレビの仕事をして思ったのです。
「テレビの意味を、あいまいなまま話していないか?」
ハードウェアとしてのテレビ受像器。
許認可事業としてのテレビ局。
コンテンツとしてのテレビ番組。
儲ける仕組みとしてのテレビネットワーク。
み~んな勝手にまとめて「テレビ」。
たとえば、コンテンツとしてのテレビは
1980年代に放送作家だった景山民夫さんが
「極楽TV」を著したときから、
もう終わっていると言われていたわけで。
(それが事実かどうか知らないが、景山氏はそう書いた)
今になって「テレビは終わった」とか言われても
違和感があります。
たぶん、家庭における役割が変わったのでしょう。
学校や職場での「話題の中心」ではなくなっています。
もっとマニアックで少数に向けたコンテンツと、
それを実現する仕組みが必要だと思いました。
テレビ局員の給与は格段に下がるでしょうね。
それでも映像コンテンツを創りたいと思う人が集まればいい。
地方局のオリジナル番組なんかは面白そうだ。
放送禁止用語をバンバン使った
お笑い番組なんかは、ぜひとも観たい!
テレビを見て一緒に育ってきた昭和世代としては、
ただ叩くだけではやるせない気持ちになるのです。