第1回江南区演劇祭 市民演劇「忠臣蔵・オフィス編」

殿の切腹を知った”社員”たちは、自分たちの身の振り方を話し合っていた。
城に立てこもるか、降伏して城を明け渡すか、討ち入りか、それとも切腹か・・・。
現代人としての彼らの忠義の尽くし方を描く。
江南区演劇公演実行委員会プロデュースの演劇公演。戯曲はAIのロボットを取り入れた演劇でも話題の、平田オリザによる現代版の「忠臣蔵」。演出は、音楽家の顔も持ち、マルチな才能で活躍する大作綾。
出演はオーディションにて選出された熱き市民たち。

【作】
平田オリザ

【潤色・演出】
大作綾

【日時】
2019年2月10日() 14:00~

【料金】
一般前売  1,000円
一般当日  1,500円
高校生以下 500円(当日同額)
※全席自由


【会場】
江南区文化会館
(新潟市江南区茅野山3丁目1−14)

 

■観劇日:2019年2月10日()14:00〈上演時間:約1時間10分〉

そこにいるのはスーツなどを着た現代人。でも話す内容は、「早駕籠が来たらしい」とか「殿が斬りつけたらしい」とか、赤穂城にいて事件を聞いた武士たちのそれだ。まずは、その説明のなさがおもしろい。タイトルで種明かしを先にしているわけなのだけれど、観客に丸ごとこの事態を飲み込ませてしまう大技(おおわざ)に感心する。

見た目と、「籠城」「討ち入り」などの言葉とのギャップが楽しい。同僚や上司との力関係、それに伴う話し方の違い。言葉はおかしいが、「自然なわざとらしさ」が成立している。7人の登場人物がきちんと演じ分けられ、それぞれの立場や主張が伝わるのは、丁寧な演出と演技ゆえだろう。

ぞくりとしたのは、家老の大石が「武士道は置いておいていい」という意味の発言をしたところ。「(ずっと戦ってない)私たちにはどうせよくわからないんだから」。強調されずさらりと発せられたこの感覚が、本作の芯だと思う。
自分たちの生き死にを含む今後を決める話し合いなのに、いま一つ緊迫感や必死さがなく、ぬるい。そこがおもしろいし、現代的だとも思うが、今より少しばかり前の時代の雰囲気という気もする。既成戯曲の上演においては、その作品を立体化するだけでない、「視点」が必要だ。本作は平田オリザの「忠臣蔵・OL篇」を潤色しているようだ。もとになった作品「忠臣蔵」が書かれたのは1999年とのこと。2019年の「いま」を映したら、もっと違う演出になるのではないだろうか。
そんなことを考えていたら、青年団がこの2、3月に「忠臣蔵・武士篇」「忠臣蔵・OL篇」を上演するという。どんな演出になるのだろう。見に行けないが、気になる。本稿を書くために、青年団の上演台本を何冊か読んだ。昨年上演された「日本文学盛衰史」が特におもしろかった。原作(高橋源一郎)は20年近く前の作品だし、登場人物も明治大正の文化人なのに、ものすごく「いま」を感じた。

第1回江南区演劇祭ということで、会場が先に決まっていたのだろうが、もっと狭い空間で見てみたかった。「ステージで行われる特別なこと」ではなく、「隣にいる普通の会社員が話している」くらいの距離感がふさわしい作品だと思う。
この日の午前中には江南区の高校演劇部の公演があり、当日パンフには、理解を深めるための漫画による「忠臣蔵」解説や、次回公演の速報とワークショップの案内が折り込まれていた。地域での演劇活動普及に目を向ける姿勢と、しっかりした継続性が素晴らしい。今後の活動に大いに期待したい。
ラストのダンスがいつもいいということも書いておこう。
 

文責:市川明美

■観劇日:2019年2月10日() 14:00〈上演時間:約1時間〉

平田オリザさんの作品は、普通の会話が展開されるけど、それがいちいち面白い。淡々としたセリフの中にもどかしさが引っかかって、むずむずして、気になって仕方ない。そんな感じだ。
 

「忠臣蔵・オフィス編」は、殿の仇討の物語である「忠臣蔵」をベースにその設定を現代社会に置き換えた討論劇で、平田オリザさんの会話劇の面白さが存分に楽しめる作品と期待していたのだが、今回は、残念ながら自分が楽しく感じる段階まで仕上がっていなかったように思う。この作品は、会話のやりとりを重ねていく中で、登場人物の心情・考えが変化していく過程が面白いと思うのだが、肝心の登場人物の心情の変化が唐突に感じられてしまい、繊細な心の動きが掴めな。例えば、何気ない会話の中でオーバーな演技が見受けられたが、はたしてその演技が正解だったのか?そういう一つ一つのやりとりを、もっと突き詰めて欲しかった。また、全体に登場人物の受け答えやリアクションが実にオーソドックスで、自分の想像の範疇を超えることがなく、そういう点でも練られていない印象を受けた。
 

この作品を観た後、脚本の本質、面白さをどこに定めているのかわからなかった。作品として見せる以上、劇的な、魅せる会話劇にまで昇華させてほしかった。舞台は、会社のオフィスという場面から照明の変化すらない一幕もので、演出が非常に難しいと感じた。場面が変化しないので、新しい登場人物が登場し、違う切り口の意見や問題を提示することで、話を盛り上げていかなければならないが、新しい登場人物が登場しても、一定のラインを波打つように漂っているだけで、膨らまない印象を受けた。劇の中の盛り上がりを強引なアクション任せにしてしまっていたようにも感じた。

開場中の喫煙シーンの必要性にも疑問が残る。嫌煙家が増えている中で喫煙シーンを盛り込むことは、演出的な効果よりも、開演前にお客様の中の味方を減らし、むしろマイナスだったように感じる。カーテンコールも、個人的には殺陣というかダンスなど入れずに潔く終わった方が良かったと思う。演劇祭という試みは非常に素晴らしいと思うので、今後もぜひ続けていってほしい。

文責:逸見友哉
 

SFage 第1回演劇公演「月の憧れ-短編SF集-」

 

【脚本】
小山恭平

【演出】
小山恭平

【日時】
2018年11月2日(金) 19:30
2018年11月3日(土) 14:00/19:00
2018年11月4日(日) 14:00

【料金】
前売  1,000円
当日  1,200円
高校生以下 800円
【会場】
新潟古町 えんとつシアター
(新潟市中央区東堀通6-1051-1 G.E ビル地下1階)

■観劇日:2018年11月2日(金)19:30〈上演時間:約1時間20分〉

「若く、無口な夫人」「キャトルミューティレーション」「月の憧れ」の短編3本立て。当日パンフに「SFが大好きだからこの名前(SFage)をつけました」とあり、それだけでもう嬉しくなった。なかなかゆっくり読めないけれど、SFは子どもの頃から大好きだ。


会場に流れる波の音と鳥の小さな鳴き声。あらゆる悲しみが溢れ出そうな表情をして、無言で立つ少女(吉田真由子)。
続いて始まった「若く、無口な夫人」。音声だけ聞こえるテレビは、日本語だけどたぶんアメリカ映画かな。夫(渡部貴将)の亭主関白っぽい言動から、少し前の時代だろうと思われた。夫は、突然やってきた男(市井優)の「政府」という言葉に、もっとビクッと反応するのが自然ではなかろうか。すぐにかっとする男は実は権力を怖がっているもの。提示された書類を読む演技が丁寧すぎて、「自然な演技」のはき違えを感じた。政府からやってきた男には、もっときりっとした発話や動きが欲しいと思う。どちらが異星人なんだ?という市民感覚を補足するほどに。「むくい」という言葉のアクセントにちょっと首をひねった。印象に残ったのは小熊香織演じる妻の静けさ。ずっとそこ(夫のそば)にいて、自分の立場が変化し危うくなるのがわかっているはずなのに、それが表に出ない「人ならぬもの」の感情の動きが、無言の体全体から伝わってきた。「心」が少しずつ育っていたのだと思うほどに。


「キャトルミューティレーション」はタイトルがよくない。私は知らなかったが、知っている人にとっては直截すぎるし、物語と相違があると思う。男二人が異星人の宇宙船に拉致される。一方の男を演じる高田遼太郎は一人で演技する場面が多いが、その表現力に舌を巻いた。浮き沈みする感情を乱暴にただ放出するのではない、抑制された演技。何もない空間に一人で立って、暗闇に負けていない。
「月の憧れ」は、地球の海に憧れる、月の少女(吉田)の話。地球からやってきた青年役・宮川飛鳥の爽やかな演技に惹かれた。少女の強い憧れの理由がもう少し描かれていたら、より説得力のある作品になったのではないだろうか。ラストシーンは、冒頭の少女のシーンの続きを思わせる、波の音と一人立つ青年(宮川)。その表情は深い悲しみを湛えつつ、少女への慈しみをも表していた。少女は海を見ることができたのだろうか。それとも見ることなく死んだのだろうか。少女は「月」そのものなのかもしれない。海を失くした「月」の憧れ。そんなことを思わせる余韻が素晴らしい。


見た直後は、演劇より小説にした方がよかったのではないかと思った。朗読の方が向いてるという声も聞いた。でも、作・演出の小山恭平は演劇という表現を選んだ。私は海外SFの香りを感じたが、周りの人に感想を聞いてみたら、小説や映画やアニメなど様々なタイトルが上がった。みんなが違うものを連想しているところがおもしろい。映像や装置を使い、もっと演劇であることをアピールすることもできたと思う。でも、作者が選んだのはとてもストイックな方法だった。瑕疵はある。だが、その真っ直ぐな挑戦が、不器用ながらも潔く、好感を持った。3作品に共通するのは「不可避な深い悲しみ」。存在の悲しみを掬い取るのに「SF」ほどふさわしいものはない。そして、人がそこにいる「舞台」だからこそ強く伝わるものがある。これからも自分のやりたいことをやり続けてもらいたい。道はそこにできる。


文責:市川明美
 

■観劇日:2018年11月2日(金) 19:30〈上演時間:約1時間25分〉

 SFとはサイエンス・フィクションの略である。作家だと星新一氏、漫画だと手塚治虫氏、アニメだとドラえもんやガンダムと、SF作品はたくさんの人々に愛されている。なぜ愛されるのか?それは多くの人間の憧れや夢を表現しているからではないだろうか。戦後くらいからSFというジャンルが確立され、当時想像していた夢物語は21世紀になって実現されたものもあれば、まだ挑戦を続けているものもある。人間が想像していることは、きっと先の未来で実現されるのではないかと、本作品を観ながら思いを馳せていた。

 今回の小山恭平氏によるSFage旗揚公演「月の憧れ-短編SF集-」は、劇団名の通りSFを題材とした作品集であった。劇団名にSFを入れるところから、主宰の小山氏はかなりSFが好きなんだと思うし、それぞれの作品からもSFへの愛情が感じられた。しかし、今回の作品に関しては小山氏らしさというか、小山氏にしか表現できない何かが感じ取りにくく、かなりオーソドックスな内容だったように思う。3本の作品を端的に表すと、1話目が「妻が宇宙人だった話」、2話目が「UFOにさらわれた話」、3話目が「月に旅行した話」であり、SFにそれほど馴染みのない自分でもある程度オチが読めてしまった。はっきり言ってしまえば、物足りない感じだった。演劇もSFと同じくらい自由度が高いので、それを生かして自分が予期せぬ方向に飛躍して欲しかった。

 それぞれの登場人物の感情の動きについては丁寧に描かれていて、SFを題材として人間模様を描きたかったのだろうということは理解できた。しかし、丁寧なやりとり故にそれが間延びの原因となっていた。また、どの作品もここからという部分で終わってしまっていて、ここから先の登場人物の変化がもっと観たかった。欲を言えば、1つの作品に絞って掘り下げて欲しかったとさえ思う。

 これから先も継続して公演を続けていく劇団だと思うので敢えて言うが、滑舌と一人よがりな感情表現は改善した方が良い。滑舌はおそらく本人は言えていると思っているので、誰かが指摘してあげないと直らないし、感情表現は、それっぽい表現をマネするのではなく、自分にしかできない表現を追求して欲しい。まずは、旗揚げ公演おめでとうございます。次の作品にも期待しています。

文責:逸見友哉

第4回かもめ企画-しおさい-エンゲキプロジェクト『セチュアンの善人』より

 

【原作】
ベルトルト・ブレヒトセチュアンの善人より)

【演出】

鈴木史郎(A.C.O.A)

【日時】
2018年10月6日 (土) 15:00~
2018年10月7日 (日) 15:00~
2018年10月8日 (日) 15:00~

【料金】
前売  一般 2,500円  学生 2,000円 高校生以下 1,800円
当日  一般 2,800円  学生 2,300円 高校生以下 1,800円

【会場】

静浜亭
(新潟市中央区関屋浜)

■観劇日:2018年10月8日(月・祝)15:00〈上演時間:約1時間40分〉

「水と土の芸術祭2018」市民プロジェクト参加作品。
かもめ企画は、2012年10月「水と土の芸術祭2012」での「ニイガタ◇水揚場版 ジョン・シルバー」から始まって、2013年10月のみずつち文化創造2013かもめ企画-みずつち 発見と創造の演劇プロジェクト-「どんぐりと山猫」&「霧笛」、2015年の第3回かもめ企画-みずぎわだつ-エンゲキプロジェクト「徒言XY、いくつかの気配、そして珈琲と。」&「血は立ったまま眠っている」と続いてきた市民プロジェクトだ。既成の劇場ではなく、水揚場の特設スペースや浜茶屋(海の家)を会場に、生演奏、歌、ダンスなどと一緒に劇空間を作り上げるスタイル。ずっと劇団A.C.O.A.の鈴木史朗演出だと思う。鈴木史朗といえば、私にとって忘れられない公演が、2011年10月のA.C.O.A.新潟公演「共生の彼方へⅠ-霧笛-セッションバージョン」(会場:五十嵐劇場)だ。鈴木史朗(当時はスズキシロー)の一人芝居「霧笛」(レイ・ブラッドベリ)に、鈴木正美のサックスが競うように被さり捻じれ。身体と音のセッション、その緊迫感と高揚感は、まさに至福だった。あの高揚を再び味わいたくて芝居を見続けているといっても過言ではない(この作品だけではないけれど)。
前作「血は立ったまま眠っている」は、浜茶屋の一階と二階で舞台が同時進行するという凝った作りだったが、一階にいた私の「二階が見られない」イライラを払拭するほどのパワーはなく、凝り過ぎという印象が残った。

で、今回の第4回かもめ企画 エンゲキプロジェクト「しおさい」(『セチュアンの善人』より)。不勉強極まりない輩なので、「セチュアンの善人」は今回初めて見た。一夜の宿を断られ続ける様子はイエス・キリストの生誕劇を思わせるが、“現実”はそれで終わらない。金銭的な貧しさが心まで貧させるさま、そして、心のままに行動することが負の連鎖を引き込むさまは、見ていて辛く、胸が痛いが、その痛みは徐々に嫌悪感に変化する。感情移入させない演出なのだとは思うが、主人公シェン・テの葛藤が今の世にも通じる矛盾を照射するだけでは、「だから、何?」という思いが居座り続ける。物語の時代から、世の中はちっとも変わってない。演者の向こうには青空が見え、その下に海があることを感じつつ、しおさいを聞きながら見る舞台は開放的なはずなのに、心は解放されない。生演奏と歌、ダンスのようなシーンもあり、祝祭劇の趣きもあるが、私の心は置いていかれたままだ。青空と、寄せては返す波の音と、社会の閉塞感。この相容れなさが、本作の見どころだったのだと思う。
惹きつけられたのは、熊川ふみとマスクマン(鈴木史朗?)の、柔らかくしなやかな身のこなし。このしなやかさが全員にあったら、印象はもっと違ったかもしれない。


文責:市川明美
 

■観劇日:2018年10月8日(月・祝) 15:00〈上演時間:約1時間39分〉


率直に言ってしまうと、座った席のせいもあって非常に疲れた公演だった。お客様に絡む演出が多用されていて、出演者が目の前に来て話しかけられたり、手を握られたり、自分にとっては緊張感の絶えない公演だった。また、観劇前の説明で「上演時間は約2時間です」と聞いて、「桟敷で2時間か…」と思ったのは自分だけではないはず。客席も3面にわかれていて、正面に座った方は、海をバックに開けた舞台が展開され、心地良い気分を味わえたかもしれないが、サイドの席に座った自分は、対面の席のお客様の反応や壁面の貼紙など雑念が多く、なかなか集中できなかった。

さらに加えるなら、自分は演劇を観劇する際、「人間ドラマが展開されているか」に注目している。これは、登場人物が、誰をどのように思っているか、その内容が観客に適切に伝わっているかということであり、人間ドラマがリアルタイムに展開することが演劇の醍醐味の一つだと考えている。そして、誰がどのように思っているかの判断をするとき、自分は役者の目を見て判断しているようだ。「目は口ほどに物を言う」という諺があるが、目を見ることによって、きちんと会話が成立していると、本能的に様々なことを感じ取れるのだろう。余談だが、最近、新潟ではきちんと会話ができている劇団が少なくて残念だ。

自分が座った桟敷席からは、主に役者の腰のあたりしか見えなくて、確かにセリフは響いてくるのだが、肝心の人間ドラマを追いきることができなかった。更に言えば、歌あり、身体表現ありの作品にしては、会場が窮屈に感じられた。もっと広い会場でダイナミックに上演した方が、観劇後の爽快感が高まったのではないだろうか。今まで、かもめ企画さんの作品は何作か観させていただいているが、今回の作品に関しては、会場を関屋浜にこだわらなくても良かったのではないだろうか。

しかしながら、出演者の演技や身体表現のレベルは非常に高く、生バンドとのコラボも楽しく、新潟ではなかなか観ることのできない古典を題材にした作品であり、クオリティーが高かった。その分、本来のパフォーマンスが十分に伝わってこなかったのが悔やまれる。

文責:逸見友哉

Accendere 第3回公演「太陽」

【作品説明】

旗揚公演「半神」、第2回公演「プルーフ/証明」を経てAccendereが次に挑むのは、
新潟県出身の劇作家 前川知大による戯曲「太陽」。
昼と夜に別れてしまった近未来の世界と、そこに生きる人類を描く寓話的群像劇。乞うご期待!


【作】
前川知大

【演出】
石川直幸+Accendere

【日時】
2018年8月24日 (金) 19:00~
2018年8月25日 (土) 14:00~/ 19:00~
2018年8月26日 (日) 14:00~


【料金】
前売  一般 2,500円  高校生以下 1,000円
当日  一般 3,000円  高校生以下 1,500円

※全席自由


【会場】
りゅーとぴあスタジオB(新潟市民芸術文化会館)
(新潟市中央区一番堀通町3−2)