■観劇日:2018年11月2日(金)19:30〈上演時間:約1時間20分〉
「若く、無口な夫人」「キャトルミューティレーション」「月の憧れ」の短編3本立て。当日パンフに「SFが大好きだからこの名前(SFage)をつけました」とあり、それだけでもう嬉しくなった。なかなかゆっくり読めないけれど、SFは子どもの頃から大好きだ。
会場に流れる波の音と鳥の小さな鳴き声。あらゆる悲しみが溢れ出そうな表情をして、無言で立つ少女(吉田真由子)。
続いて始まった「若く、無口な夫人」。音声だけ聞こえるテレビは、日本語だけどたぶんアメリカ映画かな。夫(渡部貴将)の亭主関白っぽい言動から、少し前の時代だろうと思われた。夫は、突然やってきた男(市井優)の「政府」という言葉に、もっとビクッと反応するのが自然ではなかろうか。すぐにかっとする男は実は権力を怖がっているもの。提示された書類を読む演技が丁寧すぎて、「自然な演技」のはき違えを感じた。政府からやってきた男には、もっときりっとした発話や動きが欲しいと思う。どちらが異星人なんだ?という市民感覚を補足するほどに。「むくい」という言葉のアクセントにちょっと首をひねった。印象に残ったのは小熊香織演じる妻の静けさ。ずっとそこ(夫のそば)にいて、自分の立場が変化し危うくなるのがわかっているはずなのに、それが表に出ない「人ならぬもの」の感情の動きが、無言の体全体から伝わってきた。「心」が少しずつ育っていたのだと思うほどに。
「キャトルミューティレーション」はタイトルがよくない。私は知らなかったが、知っている人にとっては直截すぎるし、物語と相違があると思う。男二人が異星人の宇宙船に拉致される。一方の男を演じる高田遼太郎は一人で演技する場面が多いが、その表現力に舌を巻いた。浮き沈みする感情を乱暴にただ放出するのではない、抑制された演技。何もない空間に一人で立って、暗闇に負けていない。
「月の憧れ」は、地球の海に憧れる、月の少女(吉田)の話。地球からやってきた青年役・宮川飛鳥の爽やかな演技に惹かれた。少女の強い憧れの理由がもう少し描かれていたら、より説得力のある作品になったのではないだろうか。ラストシーンは、冒頭の少女のシーンの続きを思わせる、波の音と一人立つ青年(宮川)。その表情は深い悲しみを湛えつつ、少女への慈しみをも表していた。少女は海を見ることができたのだろうか。それとも見ることなく死んだのだろうか。少女は「月」そのものなのかもしれない。海を失くした「月」の憧れ。そんなことを思わせる余韻が素晴らしい。
見た直後は、演劇より小説にした方がよかったのではないかと思った。朗読の方が向いてるという声も聞いた。でも、作・演出の小山恭平は演劇という表現を選んだ。私は海外SFの香りを感じたが、周りの人に感想を聞いてみたら、小説や映画やアニメなど様々なタイトルが上がった。みんなが違うものを連想しているところがおもしろい。映像や装置を使い、もっと演劇であることをアピールすることもできたと思う。でも、作者が選んだのはとてもストイックな方法だった。瑕疵はある。だが、その真っ直ぐな挑戦が、不器用ながらも潔く、好感を持った。3作品に共通するのは「不可避な深い悲しみ」。存在の悲しみを掬い取るのに「SF」ほどふさわしいものはない。そして、人がそこにいる「舞台」だからこそ強く伝わるものがある。これからも自分のやりたいことをやり続けてもらいたい。道はそこにできる。
文責:市川明美