(本会会員 土田峰人さんのfacebook記事より)
2000年船橋旭高校「山姥」
1999年8月山形の全国大会で二年間かけた「私のヘレン」を上演した夜の宿で話し合う。「秋はどうする?」「和物やりたい」「太鼓たたきたい」。絵本「ラブ・ユー・フォーエバー」なんてあるよ。船橋に戻って各自が紙に物語を書いて発表会。わいわいやる中、わら半紙一枚の非難が集中する話があった。
絵本「ラブ・ユー…」は赤子に母が子守歌を歌ってあげる話。
3才になっても、6才、9才、17才になっても、子どもが寝る時、寝たとき、いつも母は歌ってくれた。大人になって結婚して息子が家を出て行っても、母は二階に梯子をかけて枕元で歌う。その母が死んだ時…。泣いた。それを「手塚治虫のブッダとくっつけるの、お母さんが山姥で、それを子どもが焼き殺しちゃうの」「なんだよそれえ」
お母さんが山姥?みんな大笑い。実は私も一本書いていた。でもつまらない。うんうん唸っている時、関東大会のヘレンで卒業したOG三人が遊びに来た。この藁半紙一枚の方が良いと言った。わいわいと四人でプロットを作った。瞬く間に山姥の骨組ができた。これが文化祭初日まで三週間の出来事。
3日後第一稿印刷、その3日後初通し。『2000年前、龍神の使いの龍姫と村の男ひらとが愛し合った、神は怒り龍姫は岩にされ、男ひらとは沼に身を投げたが、二人の赤子は山神に拾われ、2000才の誕生日に人間の赤ん坊を欲しがった…』夢想は広がっていく。
子守歌はヘレンでサリバン先生を引き継いだ部活内の山姥(?)がガムランでチーカチクチカの歌詞で作曲。3週間後文化祭で初日。
船橋二和でも船橋旭でも、三年生の引退は1月の関東大会に出てから。前の代を引き継いで8月「私のヘレン」で舞台に居たメンバーから、三人が残った、山神、山姥、鼬。それぞれ重圧から解放され楽しそうにお芝居をする。
11月、地区、県大会を抜けて、1月の甲府関東大会で全国への切符を買って三人は卒業。すかさず次の代が引き継ぎ4月に上演。うまくいかない。6月入学した新一年だけで山姥上演。結構好評。
どうする?重圧がかかる。でも新3年が中心を続け7月から校内、船橋市、千葉市の大ホールで計4回上演。芝居は後にやったときの方が必ず良くなる。スタッフも役者も。
8月、三島の全国大会、優秀賞。旭二回目の国立劇場で大いに遊ぶ。
楽しく見事だが「心に引っかからない」と審査員に言われ続けた「山姥」は終了した。
追伸。甲府関東大会で卒業した山姥が、県の機関誌にこんな思い出文を掲載。おそろしい、ね、今では、許されないかな、きっと。
小学校の体育館で 熊が出て お客様の赤ちゃんが泣き出した
県大会のオープニングは学生服のまま始まった
山姥と鼬 残った三年女子は二人
障子のあかり チーカー♪子守歌 藤づるのお守り
楽しそうな いじめっこたち 長胴太鼓大好き
9才やまと と ちょいと抜けた 父
男たちの語りも 好き
国立劇場 は 楽しい
旭ではかなり優しくなってると 二和の卒業生達は 言うけれど……