この頃祈りの大切さを実感できるようになった。
祈りは願い事とは違う。
何で家だけこんな家なのだろう?と疑問に思った幼い頃、
自分は絶対いつか穏やかな家庭を作ろう
小さい頃は祈りの意味など知らずいつもこんな風に願っていた気がする。
今思えば、これが初めての祈りだったような気がしてくる。
自分を守るために虚勢をはっていた若い頃。
祈りとはまるで縁遠いと思われたあの頃。
自分中心だった世界が自分を後回しにと願った途端に訪れた奇跡。
人には人生に2度か3度、必ず奇跡が起こるような気がしている。
初めての奇跡を体験するのは多分この青年期なのだろう。
頑張ってきたつもりの人生にほころびが見え隠れするようになった中年期。
今ではこのほころびも、「休みなさい」と神様が与えてくれた時間だった気もしてくる。
時間は人の中で平等に優しく過ぎて行く。
この優しい時間も祈りの一つだ。
「人には何で苦しみが存在するのだろう?」そう思って叩いた教会の門。
敷居が高くて、虚勢が邪魔をしていたあの頃、
素直に受け入れるようになった今でも、苦しみの意味は相変わらず分からない。
それでも、信仰を持って少しだけ得したと思う事は・・・
「祈る大切さ」を知った事だ。
祈りは願い事とは違う。
まるでかけ離れた形で姿を現す時もある。
ただ、自分の定められた運命とは戦わない事、逆らわない事、
運命を利用して生きる事を祈りは教えてくれる。
祈りには希望がある。希望の先に待っているのが奇跡だ。
委ねる事も祈りの一つ。
生きている事自体が夢の中にいると思えるこの頃
運命は冷たく、摂理が本当に温かいものだという事も長い年月をかけて、ようやく実感できた。![]()
こんな私に、今までに2度も訪れてくれた奇跡。
密かに3度目の奇跡の訪れがあるような気もしている。
それが、たった一日、死ぬ間際であっても構わない。
奇跡は、欲を捨て、委ねた時に不意にやってくる。
家族の為、自分の為、大好きな私の周りにいる人達の為に今日も祈りを友として、一日一日を大切に過ごして生きたい。
優しい時間とともに。
おはようございます。
この間、簡単苔玉作りをしました。
↑の写真は1か月ほど経ってからカップを外したもの。
可愛い苔玉に変身していました。
施設のお年寄りに紐を使った本格的なものを希望するのは無理があります。
良い方法がないか試行錯誤した結果、糸を使わない方法に切り替えました。
去年は不織布を使ったのですが、これはもっと簡単にできます。
プリンのカップに水苔、ハイゴケ、それに培養土少々加え、丈夫な植物を植えてみました。
ハイゴケ可愛いですね。
ハイゴケは蒸れに弱いそうなので、外の風通しの良い所に置くのが一番だそうです。
お年寄りも楽しそうに作業なされていましたよ。
1か月後にはお渡しできそうです。

