昨日のブログにこんなことを書きました。
自分の不幸を話して他人に涙を見せる弱い私。
暗い私。いつまでも過去を引きずるねちっこい私。
お涙ちょうだい。悲劇の主人公。
そんな私を家族に知られたくない、と。
今日は朝からずっとそのことを考えています。
子どもの頃、確かにつらいと感じる時間が長くあった。
人より多いか少ないか知らないけど、私には確かにつらかった。
それを今でも引きずって、冷めた自分、こわばる自分がいる。
でも引きずってしまうには理由があったんだ。
ハッピーなことじゃないから、考え出すと暗くなって当然。
そりゃ、自分の不幸を話してるんだから喜劇じゃないよ。
聞いて涙してくれる人もいるけど、相手に同情してほしくて話してるんじゃない。
すべては自分のためだから。
自分をちゃんと見て、フタを開けて、バラバラな自分を統一するため。
だから、本当は隠すことなんかないんじゃないか、と思えてきた。
コソ練で自分を整えられるようになって
最初からいなかったようにされそうな私。
私の一部分なのに切り離されて捨てられようとしている私。
ちゃんと理由があって私のなかにいてくれたのに。
いてもいい私なのに。
家族へのこだわりが強すぎて、隠したくなるのかもしれない。
不安、悔しさ、恨み、失望、逃避、無関心…。
そんな葛藤に支配される家庭はもう絶対に作りたくない。
ドロドロした私の病んだ部分を持ち込んだら
何かが起きてしまうかもしれない。
演じてでも明るく強くなって、近寄ってきたらはねのけてやる。
そんな警戒心をトラさんがわき起こしてくれちゃうのだろうか。
トラさんは私が耐えられるようにわざと私をバラバラにしてくれてたけれど、
気づいたらどこにも私がいないような感覚になっていた。
切り離された私はいつまでたっても、呼び戻してほしがる。
たとえ家族や大切な人であっても、自分の心や過去をすべて伝える必要はないと思うし、伝えてもこちらの思うようには理解されないだろう。でもそれでいい。
私に必要なことだから、これからも自分を見つめる本を読み、講座やセッションを受ける。それが周りに透けて見えても構わない。
いてもいい私を隠さないでいてあげたい。