最近家族で見ているある有名なシンガーソングライターのトーク番組。毎回ここだけの本音トークを繰り広げることで人気の番組で
「こんなに売れている人でもそんなふうに感じていたりするんだ。なんか私と一緒。」って共感できちゃうところがきっと人気の秘密。
一足先に次の回を見ていた夫が興奮した声で私に話してきた。
「ねえねえ次の回ほんと面白いから早く一緒に聴きたい。」
「ドーパミンってね、未来への期待から湧いてくる物質なんだって。でね、セロトニンは日常の目の前にある幸せを感じる力らしいよ。それでね、僕も最近やっとドーパミンじゃなくてセロトニンを感じて安心できるようになってきて嬉しい。」
ほんの少しのそれだけの内容。そしてとても大きな発見をして喜んでいる夫。
それなのに私は全てのくだりを聞いてから沸々と体の奥底から怒りが湧き上がるのを感じた。
自分でも簡単には納められないほどの怒りで気がつくと私の口からは言葉が溢れ出していた。
「結婚して16年経つけど、セロトニンを感じない夫の隣にいる私は本当に深く傷ついてきたと思う。いつもいつもどれだけあなたのやりたいことに付き合ってもすぐに次のドーパミンを求めて出かけていく姿に一体何度怒りを飲み込んできたのかってこと。」
自分でも驚くほどに私は怒っていた。
3人目の子供を出産してから、私たち夫婦は定期的に夫婦カウンセリングを受けている。この1年担当してくれているカウンセラーのTさんは本当に素晴らしいカウンセリング技術を持った人で、受けるたびに毎回発展と納得と癒しに溢れている人だ。
そのTさんに私の中から溢れ出た怒りの話を聞いてもらった。
「ドーパミンの出方って急激にドバッと出て後は一気に引いてしまうんですよ。一方セロトニンは安定して心地よいままずっと続く。
ドーパミンってスポーツ観戦をして勝った時のように一瞬で興奮するけど、下がった時に欠乏感を感じやすいんですよね。だからもっともっとと興奮するドーパミンを求めてしまう傾向にあります。
そうすると人は常に戦い続けてそして常に勝ち続けなければならなくなる。Yさん(夫)が以前、辛いんだと言っていたのはこのことかもしれませんね。」
と言われた。
さすがTさん。
「一方でゆかりさんが怒っているのはセロトニンを提供している私がここにいるのにそれを感じてくれずにドーパミンに持って行かれてしまった悔しさや悲しさがあるんですね。ドーパミンめ!と怒っているわけですね(笑)。
でも、この話。お二人がどう感じたのかをきちんと言語化してシェアしてお互いに伝え合って受け止め合っていることができていることが本当に素晴らしい。それができているから大丈夫ですよ。」
と言ってくれた。
この話をしてからというもの、結婚してからずっとなんだかハスに構えていた二人の気持ちが夫からも私からもスルスルと解けて消えていった。
「感情はその人のものだから、正しいも間違っているもないんですよ。」
いつもTさんが言う言葉だ。
確かにそう。
傷ついた心は私が勝手に傷ついたと言うこと。
誰が悪いわけでもなく、でも確かに私は傷ついたと言う事実。
そこで湧いてきた感情を素直に伝えることで気持ちは初めて意味を持つのだと知った。
傷つけられた!ではなく、私は傷ついた。
これってほんの少しの言い回しの違いだけど、月とスッポンほどの違いがある。
そこには私しかいなくて、そして傷ついたことは事実で。けれど悪者は存在しない。
夫は自分のうちにできたセロトニンって幸せ!っていう喜びの感情を私にバトンとして渡した。私はそれを受け取ってドーパミンに負けて今まで悔しかった!って言う感情をまたバトンとして渡したのだ。
喧嘩ではなく、相手を責めたり否定したりするのでもなく、ただただそこにあるわたしの心をバトンにしたのだ。
心をバトンすると不思議とねじれていたものは綺麗になくなっていく。
そんなやりとりがあった数日後、今度はテレビの哲学番組を見ていた時のこと。
頼まれる仕事が断れなくて本当にやりたいことができずに困っていると言う人の心のメカニズムを哲学していた。
仕事の依頼を受けると言うことは一種の快楽(やりがいや達成感)であって、断れないのは快楽をたくさん欲しいからなのだという。
番組の中ではそのメカニズムを体感するために、仕事の依頼を受けた時に手に持っているリュックに重いボールを一つずつ入れていくという実験をした。
たくさん引き受けた仕事は重みのある球となってリュックに溜まっていく。
それを背負って歩かされてみると、重すぎて歩くのがとても辛い。
そこで今度はリュックの中身を減らすため引き受けた仕事のいくつかを理由を決めてお断りして相手に球を返していくと言う作業をさせる。
本人はあれこれ理由を考えて仕事を半分以下まで減らした。
さてまたそのリュックを背負って歩いてみるとなんと軽いこと!そして走れるかもしれない!と身軽になってなんとも嬉しげな表情。
ここでアリストテレスの弟子であったアリスティッポスの哲学が登場する。
本当に心地よく歩いていくためには快楽のうち何を受け取って何を断るのか、主体的に選択する必要がある。と。
ここでもまた夫が感動して
「主体的に選択するって今はすごく腑に落ちて心地よい」と言った。
私も激しく同意。
ドーパミンってほんとに心地よくて最高な気分になる。でもちゃんと選び取らないと、永遠にドーパミンを欲する地獄のループに入ってしまう。心地いいんだけどなんだかもっともっとと追われるような自分がいる感じ。
夫に怒りを覚えた私だけれど私もドーパミンの威力にハマったことがあるからとてもよくわかった。
恐るべしドーパミン。本当に最高の瞬間を感じさせてくれるのよね。
でもこれからはじっくりと精査しようと思います。
こうして私たち夫婦は随分とセロトニンの心地よさの中で過ごすようになった。
時々、一緒にドーパミンを味わったりもしながら良いバランスになってきたなぁと思う。
だけどそんな穏やかな日々も長くは続かないからこれまた人生は面白い。
今度は子どもの感情のバトンを受け取ることになる。就職活動に悩む娘から大量の感情のバトンを渡された、というか叩きつけられた(苦)。
はぁ、家族って全然違った人格が共に暮らしている。だからもう心のバトンもカオス!親子の心のバトンについてこれからしばらく頭を悩ます日々がやってきそうだ。人生って楽じゃない。だからこそ私は今日もやっぱり心のことを考えている。
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ここ最近長女の様子がおかしい。
仕事から夜遅く帰宅して死にそうな顔で部屋に直行してパソコンに向かう
そのまま寝落ちするらしく早朝にけたたましい目覚ましの音と共に起きてきてシャワーを浴びてものすごい形相でまた仕事へ出掛けていく。
そんなことが何日も続いて、
「大丈夫?」
と問いかけても目も虚ろに通り過ぎるだけ、、、。
たまさか返答があったとしても
「だって仕事が終わらないから。やらなきゃ明日に間に合わないから」
と切羽詰まった返事。
これは親としては大丈夫か?
過労死してしまうのではないか?
と単純にとても心配になる。
そもそも与えられている仕事量が無理な量を課せられているのか、
本人の仕事の処理能力が低いため当たり前に終わる仕事が終わらないということなのか?
母としては頭の中がぐるぐる思考で一杯に!
そうなるともう本人を捕まえて根掘り葉掘り事情を聞いて、何か無理しているようならば休めるようにアドバイスの一つもしなくては大変!
と、あっという間にそんなふうな心持ちになってしまう。
そんな日が続いたある日も帰りは遅く、いつもなら先に眠るのだけどその日はソファでうたた寝をしながら長女の帰りを待つことにした。
もうすっかり寝入っていた頃に帰宅した長女に夕飯を準備して、食卓についた長女に向かって口を開く。
あれも言いたいこれも言いたいとっても心配!!!っていう気持ちを思い切り飲み込んで。
「最近仕事はどお?大変なの?」
「うん、まあね。」
死んだような目をしながらいう長女。
ここでいつもの私なら、そんな死んだようになるほど仕事してたら体壊れちゃうよ。ちょっとコントロールして休むことも必要だし、そもそもその仕事量って健全なの?
と畳み掛けたいところ。
でもね、最近学んだんです。
伝えることよりもむしろちゃんと丁寧に聞くことのほうが結果的にちゃんと伝わるって。
これはアサーティブなのかどうかわかりませんが。
伝えることや伝え方をたくさん学んだけれど、「対等に聴く」ことのほうが大切な瞬間って結構多いんだなーって。
だからこの夜も続けて私は聞きました。
「今どんなふうに大変なの?人がいないとか?」
すると長女はするりするりと今置かれた自分の仕事での立場について丁寧に説明してくれたのです!
私もそれに水を刺さないようにひたすらに相槌を打ちながら聴きました。
今、社会人2年目にして責任のある立場を任されたこと。
自分はこの仕事で指名を取れるくらいになりたいこと。
そのために今与えられる現場は断らずに全てチャレンジして経験値を積みたいこと。
今回組んだチームには素晴らしい先輩がいてとてもラッキーなこと。
ここでしっかり仕事の結果を出せればその人たちと人脈もつながって良い仕事が取れるようになると思うからこの2年目は苦しいけど踏ん張って乗り越えたいと思っていること。
まぁざっとそんなことを語ってくれたのです。
ふぅ。聴くに徹した自分バンザイ!
そこで初めて私の言いたいことをシンプルにひとつだけ伝えてみました。
「そうなんだ。応援してるね、頑張って。
ママは体壊さないかだけは心配だからそれは気をつけて無理が行き過ぎないようにね。」
長女は うん、と一言返事をして夕飯を食べ続けていました。
本当は言いたいことは山ほどあったけど、ぐっと飲み込んでみたら。
最後はとても心地よく、長女を応援する気持ちになれた上に、
長女を傷つけることなく心配な気持ちも伝えられた。
それからはどんなに長女がこん詰まっていても、安心して見守ることができる心持ちになれたし、長女の方からも仕事のことを話してくれるようになって、素直に頑張ってるねって声かけができる日常になってきました!
これは私にとってすごく自信がついた出来事で。
私の中でもまだまだ学びが追いついていない
「アサーティブに聴く」とはどういうことなのか。
これからも小さなエピソードと共に綴っていきます!
高校生の次女がここ最近ぐったりとしてご飯も食べれず、何かというと学校が辛いとボロボロ泣き出すという。
そんな現象に家族で会議を開きました。
もうそんなに苦しいのならカウンセラーに話に行こうよ、と言っても納得しない。
でもこのまま行ったら壊れちゃいそうで心配だよという私たち。
一向に交わらない話し合い。
そんな時どうしたら良いんだろう?
助けたいけど助けられない。
親として何ができる?
そんな平行線の会話を終わらせたのはたったの一言でした。
『まぁ、それは辛いよね』
お母さんも昔そんなことあったよ。
どうにもできなかった。
でもそのせいで勉強もできなくなって今となっては後悔してる。
そんな話もしました。
そしたらやっと
能面の様に死んだ顔をしていた女の眼に正気が戻りました。
毎日明日学校へ行くためだけに眠ったり好きな動画見たりしてバランス取ってる。
私は頑張ってる
もうできることは全部やった
これ以上もう期待して傷つきたくない
思いの丈が溢れてきました。
そうだね
今はまずは
ただただそうだねと
隣にいることが最善の様です。
まずはしっかり受け止める。
アサーティブの基本、忘れていました!
解決しようとしたくなるけど
それは彼女のことを救うことにはならないみたい
壊れそうになる前に
ちゃんと気付ける様にだけ
しっかり目をかけ心を寄せていきたいと思います。
あなたが壊れることを心配してるの
そう率直に伝えられたこと
でも家では疲れてしまって頑張れないからほっといて欲しいの
その声にわかったと応えられたこと
すこしはアサーティブに進めた気がします。
大人の保健室、えんがわSALONです。
子育てをしていて気がついた小さなことをシェアしています。
今回は子どもに必要だと言われてることは大抵まずは大人に必要なことだと思うということについて。
ここのところ自己肯定感という言葉がかなり市民権を得たなと思いますが。
根拠のない自信とも言われますよね。
ひっくるめて私は『心の土台』と言っています。
心の土台がないとその上にいくら素敵な建物を建てて(スキルや体験)も、根底から崩れてしまうんですよね。
心の土台が安定してるってとっても大切なことだなと思うんです。
私が3人の子育てをしながら学んだことは、もっぱらこの心の土台を育てるために必要なステップは何かということ。
色々ありますが。大きな一つは
『感じた感情を共感してもらえる安心感』です。
嬉しかったこと、悲しかったこと、悔しかったこと。まず初めになんのジャッジもせずに受け止めて共感してもらいたい!なのです。
それで、子どもに一生懸命共感をしてあげようと頑張ったりするのが親なわけですが。
親もやっぱり人間だし、ある意味では誰かの子供でもあります。
子育てをする前に1人の人間として。
親もやっぱり感じた気持ちを共感的に聞いてもらうってとても大切なことなのだと思います。
ただ、もう成長してしまった私たち親って、今更お母さんに甘えるというのも無理がありますよね?
そんな時にできることは、自分の感情に気がつき、自分で寄り添ってあげる。そんなステップをお勧めします。
なんの道具もいりません!
自分の今の状態に気がつき、そのままの自分に声をかけてあげるだけ!
そっか、今あなたはいっぱいいっぱいなのね。よく頑張ったね。
とか、
悲しかったね。もっと◯◯して欲しかったよね。悲しいね。
みたいな感じに!
自分の中に大人の自分と子供の自分を作るようなイメージで、大人の自分から子供の自分に声をかけてあげると、不思議に心が少し温まって緊張して怯えていた自分が解けていく体感ができますよ!
なれるまでに少し時間がかかるかもだけど、チャレンジしてみてくださいね!
大人のための保健室。えんがわサロンの日。
今日のテーマは怒りから気がつく大切なこと。
怒りってどこかでみんないけない感情って思ったりしませんか?
怒っている自分のことを自己嫌悪しちゃったりしがちですよね。
だけど、怒りって本当はとっても大切な感情なんですよ!
怒りはあなたの大切にしていることを炙り出してくれる役目を持っていたりします。
よく、怒りは二次的な感情と言われたりしますがそれは怒りの下に実はもう一つ、本当の気持ちが隠れているからなんです。
最近自分が怒った時のこと、よーく思い出してみてください。
どんなシチュエーションだったかな?
誰に対してだったかな?
例えば私。
最近のプチ怒りでは息子が夜寝る時にこそこそ隠してパソコンを部屋に持ち込み夜遅くまで布団の中で動画を見ていたことがあります。
遅くまで起きていたことにもちろん怒りました。
コソコソしてだことにも怒りました。
何より嘘をついて寝るふりをしたことに怒りました。
さてこの時、隠されていた本当の気持ちってなんでしょう?
それは、たくみに嘘をついたことで息子のことを信じられなくなることに対する不安感でした。
そして騙しても良いと思われた悲しさでした。
怒りの下にある気持ちに気がつくと少し自分が落ち着いて来ます。
そして怒りにはさらに、希望が隠されていることもあります。
今回だったら私は息子に嘘をつく人になってほしくない。つまり
誠実な人になって欲しい、という希望がありました。
怒りが湧いた後にこんなふうに少し連想ゲームのように怒りの下にいる気持ちと希望を探してみることをとってもお勧めしています。
息子にはあらためて翌朝、
嘘をつかれていたらもうあなたのことを信じてあげることができなくなるよ、
どうせ嘘つきだからって思うよ。
だから嘘はついてほしくないな。
そんなふうに伝えてみました。
息子は真面目な顔をして頷いていました。
怒りにはレベルがあるので。まずは低レベルの怒りからぜひ向き合ってみてくださいね!
希望が見つかったら相手に伝えても喧嘩にならないし、本当の気持ちが見つかったらそんな自分にそっかそっか、悲しかったね、しんどかったねって寄り添ってあげることもできるようになりますよ!
