(写真は数年前のもので、中央は通学路がありました)   

       

 

昭和時代、演歌「柿の木坂の家」がヒットしましたが、農家生まれの私にも、柿の木についての思い出があります。

 

その柿の木は、屋敷外れの畑地に在り、小学生の頃は、帰校同時に、その木によじ登り、色つき始めた実を見付けては、おやつ代わりに食べていました。

 

やがて結婚し別居し、孫が出来ますと、彼らをハイキングの柿狩りよろしく、その木の下で、柿の旬の見分け方、バリバサ等を使用しての収穫方法を得意に講釈しました。

 

やがて、晩年になりましてからは、枝に残した「供養柿」の下で、落ちてくる柿を気にしながらも、既に落ちた柿を拾って食べました。

 

おちた物を拾うのは衛生的ではありませんが、木の下に魔落ち葉や草があり、その上、人間と同じで、柿は、熟すほど味が出て美味しくなります。

 

この柿の木とは、約半生の付合いでしたが、現在は高速道に埋められてしまいました。

 

  ※ バリバサ = 竹を利用し、高所の柿を枝ごともぎ取る農家特製の道具。

  ※ 供養柿  = 柿の季節の終わり頃、野生の鳥達の為に、数個の柿を木に残した柿。