当地方には「正月3ヵ日の朝食準備は男衆が行う」習慣があり、私も昭和の時は、兄や、父親と共に習慣に従ってきました。

 

とは言うものの、正月3日間の炊事は、女性陣が作り置いてくれますので、私達は、それを盛り付け、配膳するだけでした。

 

それでも、男が台所に立つことに異論を持つ私は、妻が其の風習を知らないのを良い事に、今こそ改革の時と、朝寝を決め込んでみましたが、それが成功しました。

 

以後、正月の台所は、妻任せでしたが、気付くと、その頃から、毎年の縁起物「頭芋」が消えた事に気付きましたが、私は、敢えてその事に触れませんでした。

 

しかし、現在の妻は、自称我家の「頭」を名乗る程に増長していますので、頭芋伝説や三が日の男料理のしきたりを知りながら、知らぬを平然を装っていたのかも分かりません。

 

そうなると、目先の利益に目がくらんだ自分には、「策士、策に溺れる」の言葉が去来する正月でした。