近頃、しきりに思うのは「計画停電」という奇異な言葉についてです。
普段「計画」という言葉を私たちが使う場合、多くは「夏休みの計画」「旅行計画」「トレーニング計画」のように後ろに来ます。
英語なら「サマープラン」「ツアープラン」「トレーニングプラン」と言い換えられます。もしくは「計画的に準備する」など「的」を伴って使います。

一方「計画」が最初に来る例はあまり見かけません。検索してみたのですが、「計画停電」のほかには「計画経済」くらいしか見当たりませんでした。(他にあればぜひ教えてください。あ、「計画分娩」もありますね。)
「計画経済」とは「政府のつくる計画に従って生産や分配が行われる経済制度」で、資本主義社会の「自由経済」と対比されます。国家的発動であり「もはや選択の余地がない」という逼迫した意味合いを持ちます。
つまり、最初に「計画」がつくと「否応無しに」従わざるを得ないという印象を与えるわけです。しかも、日本人は子どもの頃から「計画的であることはよいこと」と教育されているので、「計画停電」について無条件に受け入れます。

「計画」が最初に来る「計画停電」は、そうした心理的操作性をはらむものです。例え、最初に持ってきたにしても、本当は「計画的停電」でいいわけです。
しかし、そうではなく、実際の表現は「計画停電」です。「万が一の不測の事態への備え」と位置づけられているはずにも関わらず。原則として、「計画停電は行わず節電で乗り切ろう」というのが国の基本方針であるにもかかわらず。
情報の受け手である私たちの受け取り方でも、いつの間にかその基本方針が意識から消えさり、「計画停電」だけが一人歩きしているのですね。一人歩きする理由のひとつには、報道のされ方だけではなく、この4文字の持つ強い語感があるでしょう。

試しに「計画」をいろいろな言葉にくっつけてみるとします。
「計画購入」「計画支払」「計画集客」・・やはり、無理矢理な感じ。

さらに「停電」という言葉を見ていきましょう。
「停電」とは「送電が一時とまること。また、そのため電灯が消えること」と広辞苑にあります。他動詞の「停める」ではなく、自動詞の「停まる」が「停電」です。
「停電」は、自主的に計画的に「停める」のではなく、不意に・図らずも「停まる」から不安が募るのです。今回の、計画的に「停める」場合に、もともと「停まる」の意味が強い「停電」を使うのは、ふさわしくありません。

そう考えれば、適切な表現は「送電停止計画」です。そこでしか買えない顧客に対して「電気を売ることができません。万が一足りない場合、事前に計画的に送電を停止しますよ」と言っているわけです。顧客としてははなはだ不本意ではありますが、仕方がありません。

ほんとはね、まず「節電計画」があり、次に「送電停止計画」があるべきです。節電は顧客が行うものであり、送電停止は電力会社が行うものですから、むずかしいかもしれませんが、真面目に対策を考えるなら、この2つがセットで計画されるべきでしょう。
しかし、電力会社では、「節電」は要望にとどまり、「停電」のみが実力行使を匂わせるのです。この作為性に、どうにもならない居心地の悪さを感じるのです。

「にんべん」と「言」という字を組み合わせて「信」と読みます。人は、言葉を信じたい生き物です。
しかし、今という時代に生きる私たちは、ぶれない指針を持つために、言葉を疑うことも時に必要。なぜなら、言葉の多くは「意図」を持って発せられるものだからです。生きにくいこの時代。なんとかして生き抜こうと懸命に誠実に生きる人にとっても、人を出し抜いて生きようとする人にとっても、「言葉を使う権利」は平等に与えられています。
言葉は、薬にも、武器にもなる。何の変哲もない言葉が実は意図を持って洗脳的に使われることは人間の長い歴史のうえで、幾度となく繰り返されてきました。

だからこそ、言葉の奥にある真実を見極めたい。
違和感を持つ言葉があれば、一文字一文字をつぶさに見るのがよいでしょう。この文字は?この文字の組合せは?配列は?
「計画停電」という4文字は、ボディブローのように繰り出され、私たちから建設的思考を奪っているのではないか?今一度、考えてみるのは決して無意味なことではないでしょう
昨年の12月朝日新聞の声欄に掲載された父の文章です。

$知らずに使っている「仏教の言葉」~心の縁側-朝日新聞 声欄


「法で解決できることではない。
 時が解決できることではない」と
語っていました。

父は84才ですが、頭の回転は40代。
まだまだ教えられることが多いと、会うたびに思います。

80を過ぎてなお、
社会や政治への疑問を呈している姿を見ると
こちらまで勇気がわきます。

SNS全盛の今、私自身を振り返れば
良い人だと思われたい、偏った人だと見られたくないがために
当たり障りのない、お茶を濁すような発信になる場合があります。

慎むことも忘れずに、しかしそれでいて
「あの時書いておくべきだった」と後で後悔しないようにしたいと
改めて心に刻みました。

言葉が持つ責任と権利と義務。
年の初めに確認でき、感謝しています。
田中優さんのメルマガで、食の汚染について触れてあります。
> こちら

気をつけたらいいこと。
それほど心配しなくてもいいこと。

情報を見極めることの大切さが分かりました。