←クリックをお願いします。死刑が執行されました。
「正義の実現と法の支配する国」を理由に「粛々と執行」されたそうです。
→ 宮崎死刑囚の刑執行 「心の暗部」が未解明だ
→ 死刑執行 鳩山流
死刑が執行されるたびにその是非が問われます。
一つ前の記事で書きましたが「死は一切の因縁が滅すること」です。
逝去→ http://ameblo.jp/engawae/entry-10107439884.html
因縁→ http://ameblo.jp/engawae/entry-10107236217.html
物事には「因果応報」というものがあり、自分の行いは返ってきます。
それが「因縁」なのです。
しかし、死とともに、その一切の因縁がなくなるわけです。
生きていれば、もがき、苦しむことがあったかもしれませんが、それらから開放されるのです。
被害者のご遺族のお気持ちは複雑でしょう。
やっとこれで墓前に報告ができると思われるかもしれません。
他人はどうしたって他人ですから、いくらご両親の心中を察しようと思っても、それはかないません。
ただ、もしも自分が親であれば、本来なら美しい盛りのはずの娘の墓前で、こう報告すると思います。
「あの男が死刑になったよ。
20年かかったけどやっとこの世からいなくなったよ。
安心して、やすらかに眠ってね」
と。
そして、それで親としての自分に区切りをつけようとするでしょう。
けれど、やはりさっぱりとはしないと思います。
最後まで謝罪や反省のなかった犯人への憎しみと怒りは、消えないでしょう。
犯人は死刑で一切の因縁から解放されるのに、です。
そう思うと、本当にいたたまれない事件です。
これは、木蓮の感情です。
宗派が死刑に反対するのは、別の見地からで
「人が人を殺すのはどんなことがあってもいけないこと」という考えからでしょう。
小さな4人の、奪われた尊い命。
ただただ、手を合わせます。