←クリックをお願いします。南岳は若くして住職になりました。
近所に、ある農夫さんが暮らしていました。門徒さんでもありました。
その方は、汗水流して働いた1日の終わりに、ようやく1合の酒を買われるのです。
量り売りです。毎日、毎日その繰り返しだったそうです。
お酒を飲めば言葉が荒ぶり、涙もろく、気性は激しく。
自然を相手にする仕事につく方は、幾分そうしたものかもしれません。
亡くなる前に、その農夫さんは南岳に読経を頼まれました。
枕元に集まった方々に対して言い遺されたそうです。
「(こうしている私のことを)人事だと思いなさんな。
人生、粕(かす)のごとしですよ」と。
働けども働けども楽にはならず、粕(かす)のような人生---
自嘲の言葉だとは思えません。
深い、深い、導きの言葉に思えます。
そして、尊いと思えます。
なぜなら、50年を経た今も
その方が亡くなった時間までを南岳は記憶し
毎朝、朝露を踏んでいるからです。
「朝露を踏みなさい」
親でもない、子でもない
ただ近所であっただけの、農夫と若者。
若者の心に半世紀を過ぎてなお生き続ける言葉を遺した方。
粕どころか、朝露のように、毎朝新しく空から降りてくる一言。
朝日を受けてきっと、ダイヤのように輝く一言に違いありません。