←クリックをお願いします。「厳しい言葉」を正面から受け止められない人が、以前より増えていると感じます。
例えば、普段軽い短篇小説を書いている著者が、自伝記で自身の辛い過去も吐露し、あえて読者に苦言を呈するとします。
すると「上から目線で高飛車な感じ」「小説はいいのに、自伝だと言葉が汚い。ファンが減る。もうエッセイは書かないほうがいい」と評価されるというような状況が起こります。
そんな著者であればもちろん悪い評価などものともしないことでしょうが、それを読む側としては心寂しく、せつないものがあります。
一億総評価社会。
web2.0の恩恵と言えば言えるでしょう。
けれど、本を読んで傷ついて、また他の人を傷つける。
ナイフのような言葉が時に平然と行き交います。
検索エンジンを使いこなしただけで、あたかも全能であるかのように錯覚する
ネット社会の影の部分と言えはしないでしょうか。
「ファンがどう思うか」読者目線は大切ですが、それを気にしてしまって
もしも言いたいこと、書きたいことが書けなくなるとしたら、ペンの力とは何でしょうか。
表現の自由とは何でしょうか。
自由さがかえって自由を束縛している、奇妙な循環がそこにあります。
1冊の本にひとつでも役に立つことが書いてあれば幸運。
それくらいの気持で本を読むのがいいように思います。
あえて厳しい言葉を望む人はいない。分かっています。
誰でもいつだって、心地よく、温かい言葉に包まれていたいのです。
けれど、厳しい言葉の中にかくれた本物の温かさこそが、人を成長させることを忘れてはいけないでしょう。
厳しい言葉を遠ざけないで、言葉の中の真実を見つめたいと思うのです。