日経テクノロジーOn line(2015/01/21 00:00 更新)
「数字を言うな
“開発の鉄人”がこっそり教える虎の巻 #036 」
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20150119/399624/
開発の鉄人シリーズの内容と軽快に展開する文章が読みやすく愛読しています。
ちょっとした時間に楽しく読んで、内容について考えさせられる。
今回の「数字を言うな」も、移動するちょっとした時間に読んだのですが、、、
アイタタタ・・・おっしゃる通りだなぁ。と電車の中で苦笑してしまいました。
製品開発に携わる技術屋にとって、「数字で表現する」ということは非常に重要なことです。
数字で表現できないようなものまで、数字で表現するためにはどうすれば良いか?
ということばかり考えている我々にとっては耳が痛い話題。
なぜ数字で表現する事が重要であるかと言えば、
「特定の条件のもとで第3者が共通の尺度で評価することができる」
からではないでしょうか。
例として「学力」について考えてみます。
特定の条件:公開模試を受けた人
第3者:公開模試を受けた人のご両親
としてみます。
個人の学力は、数学が得意な人もいるし、英語が得意な人もいます。
では総合的には誰が一番、学力を持っているか?これをみるためには、全科目の合計点で評価するという方法が最も簡単な方法といえます。
でも、その時のテスト問題が英語よりも数学の方が難しかったりすると、合計点で見た場合は数学の得意な子は点数が低くなったりしてしまう。
また、その前のテストでは英語の方が数学よりも難しかったとすると、立場は逆転してしまいます。
そんな課題を解決するための指標として「偏差値」という数字があります。
この数字を使えば、その時の問題の難しさに関わりなく、テストを受けた人たちの中で学力がどれくらい違うかを公平に評価することができるのです。
過去のテスト受験者の偏差値と、ある学校の受験者数、合格者の数を統計にとれば、どの学校にどれくらいの学力の人が何%くらい合格しているか。を表現することができるので、合格確率なるものが数字で表わすこともできます。
そうすると、今の実力で学校に入学できそうか難しそうか、判断することもできるようになるのです。
こう考えると「数字で表現する」ことは、物事を正確、且つ分かりやすく伝えることができて便利であることが分かります。
しかし、大切なことはデータをどのように判断し、使うか。
数字で表現することは、誰かに状態を「伝える」方法なので、伝わった人がそれをどのように感じ取り、使うかによって、状況は大きく変わってきます。
先ほどの「学力」の例を膨らませてみます。
公開テストの模試を受けた人が行きたい学校の合格確率が50%とでたとき、
「50%なら合格できるかも知れないから、もっと頑張って挑戦した方がいいな。」
と判断する人もいるし、
「50%しかないなら、確実に合格するためには諦めるしかないな。」
と判断する人もあります。
どちらの場合も数字で表現すれば50%。数字には「判断する人の心」が入っていないのです。
僕とその仲間たちの間では、データに「魂を込める」という言い方をすることがよくあります。
「数字で表現する」ことでできるのは、誰が見ても分かるように尺度を定義して、その尺度の中での位置を明確に(評価)すること。
しかし判断するのは、「個人の意思」であることを忘れてはいけない。
伝える内容や伝える相手によって、ポジティブに捉えるかネガティブに捉えるか変わってしまい「数字」は諸刃の剣となってしまう。
客観的な数字のみを伝えて、あとは数字を見た人の感じ方に任せてしまうのではなく、
「こんな見方があります。こんな捉え方があります。私はこう思います。」
と、数字では伝えられない心(これぞ魂)を込めていく作業こそが重要だからです。
もしもネガティブな結果となってしまうと考えられる場合には、数字では表現しない方が良いことも。 だからこその「数字は言うな」
記事からそんな捉え方をしてみたのですが、皆さんはどのように感じられたのでしょうか?
KEN
「数字を言うな
“開発の鉄人”がこっそり教える虎の巻 #036 」
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20150119/399624/
開発の鉄人シリーズの内容と軽快に展開する文章が読みやすく愛読しています。
ちょっとした時間に楽しく読んで、内容について考えさせられる。
今回の「数字を言うな」も、移動するちょっとした時間に読んだのですが、、、
アイタタタ・・・おっしゃる通りだなぁ。と電車の中で苦笑してしまいました。
製品開発に携わる技術屋にとって、「数字で表現する」ということは非常に重要なことです。
数字で表現できないようなものまで、数字で表現するためにはどうすれば良いか?
ということばかり考えている我々にとっては耳が痛い話題。
なぜ数字で表現する事が重要であるかと言えば、
「特定の条件のもとで第3者が共通の尺度で評価することができる」
からではないでしょうか。
例として「学力」について考えてみます。
特定の条件:公開模試を受けた人
第3者:公開模試を受けた人のご両親
としてみます。
個人の学力は、数学が得意な人もいるし、英語が得意な人もいます。
では総合的には誰が一番、学力を持っているか?これをみるためには、全科目の合計点で評価するという方法が最も簡単な方法といえます。
でも、その時のテスト問題が英語よりも数学の方が難しかったりすると、合計点で見た場合は数学の得意な子は点数が低くなったりしてしまう。
また、その前のテストでは英語の方が数学よりも難しかったとすると、立場は逆転してしまいます。
そんな課題を解決するための指標として「偏差値」という数字があります。
この数字を使えば、その時の問題の難しさに関わりなく、テストを受けた人たちの中で学力がどれくらい違うかを公平に評価することができるのです。
過去のテスト受験者の偏差値と、ある学校の受験者数、合格者の数を統計にとれば、どの学校にどれくらいの学力の人が何%くらい合格しているか。を表現することができるので、合格確率なるものが数字で表わすこともできます。
そうすると、今の実力で学校に入学できそうか難しそうか、判断することもできるようになるのです。
こう考えると「数字で表現する」ことは、物事を正確、且つ分かりやすく伝えることができて便利であることが分かります。
しかし、大切なことはデータをどのように判断し、使うか。
数字で表現することは、誰かに状態を「伝える」方法なので、伝わった人がそれをどのように感じ取り、使うかによって、状況は大きく変わってきます。
先ほどの「学力」の例を膨らませてみます。
公開テストの模試を受けた人が行きたい学校の合格確率が50%とでたとき、
「50%なら合格できるかも知れないから、もっと頑張って挑戦した方がいいな。」
と判断する人もいるし、
「50%しかないなら、確実に合格するためには諦めるしかないな。」
と判断する人もあります。
どちらの場合も数字で表現すれば50%。数字には「判断する人の心」が入っていないのです。
僕とその仲間たちの間では、データに「魂を込める」という言い方をすることがよくあります。
「数字で表現する」ことでできるのは、誰が見ても分かるように尺度を定義して、その尺度の中での位置を明確に(評価)すること。
しかし判断するのは、「個人の意思」であることを忘れてはいけない。
伝える内容や伝える相手によって、ポジティブに捉えるかネガティブに捉えるか変わってしまい「数字」は諸刃の剣となってしまう。
客観的な数字のみを伝えて、あとは数字を見た人の感じ方に任せてしまうのではなく、
「こんな見方があります。こんな捉え方があります。私はこう思います。」
と、数字では伝えられない心(これぞ魂)を込めていく作業こそが重要だからです。
もしもネガティブな結果となってしまうと考えられる場合には、数字では表現しない方が良いことも。 だからこその「数字は言うな」
記事からそんな捉え方をしてみたのですが、皆さんはどのように感じられたのでしょうか?
KEN