高野山の金剛三昧院の愛染明王像は、鎌倉幕府を開いた源頼朝公(七赤金星、卯年生まれ)が亡くなった際、正室の北条政子(六白金星、丑年生まれ)さんが、当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏(ざぞうねんじぶつ・今日の愛染明王像)として作成されました。
で、面白いのは、
和歌山県高野山の壇上伽藍下の檀北側にあり、新学堂ともいう、愛染堂に、
建武元年(1334年)4月14日の後醍醐天皇(一白水星、子年生まれ)綸旨により、「四海静平(しかいせいへい)、玉体安穏(ぎょくたいあんのん)」を祈願し、不断愛染護摩供・長日談義を行うために建立されました。
本尊は、後醍醐天皇等身の愛染明王で、一面三目六臂の上段の二臂で弓を持ち矢をつがえ、天に向かって弓を引いているため、「天弓愛染明王」と言われます。
明王は、平安時代後期に登場する仏で、「明かりをもつもの」が原義とされます。
愛染明王のサンスクリット名は、ラーガラージャ(Ragaraja)で、ラーガ(羅我)とは、赤色、情欲、愛染の意味で、ラージャ(羅闍)は、王の意味です。
堂宇は、四度の焼失と再建を経て、現在の建物は天保14年(1843年)に焼失した後、嘉永元年(1848年)に再建されました。
そして、検校来応を導師に、愛染堂、蓮華乗院(大会堂)三昧堂の落慶曼荼羅供が行われました。
高野山でなく、近くですが、高野町の金剛三昧院にいらっしゃる愛染明王、
何故か、後醍醐天皇の命で作って、後醍醐天皇の等身大です。
なんで愛染明王か?はわかりませんが、キューピットなので、寅の意味、絶対的に当てる、モノにする、の願掛けなんでしょうね。
的に当てる!の執念。
だからとことん仏をやった、とも、結果的に言えますね。
女は愛染明王、西洋で言う、キューピットです。
西洋占星術だと射手座です、ギリシャ神話のエロスの事ですね。
解神が寅の女性は、愛染明王信仰良いかも、です。
申年生まれの女性が、愛染明王御参りすると、御自分の本性が分かるかも、です。