捉え違いをしたまま世界は創れない | 自分と共に歩む

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沢山のブログの中から

私を見つけて下さり

読んで下さりありがとうございますラブラブ


だいぶピクミンも仲間が増えたよ😆💖


最近良いことばかりで嫌だと感じることが少ないんだけど、「嫌なことすら豊かさだ」とようやく理解出来てきましたキラキラ


嫌なことは「望みの抽出」として見ることは出来ていたけど、「望みの抽出」をした後にその嫌なことを「嫌なことだから排除したい」と今までは思っていたけど、


嫌なことに変わりはないんだけど、自分の内側でそこに在ろうが無かろうが「どっちでもいい」に変化してきたことに気付いたのですひらめき電球


というのも、安住村での配信で


『嫌な上司の言葉が耳に入らないくらい、「え?聞こえてませんでした。」ってくらい目の前のことに集中する』


っていう最初の頃の配信通り、自分にとっての嫌なことが目に入らないくらい目の前のことに集中していたら、


【その空間にはいるんだけど私の世界に登場させないくらい自分のことに集中】


してるから、嫌なことを仮に言われても右→左に聞き流すだなって自然と思えて、


「誰から(何から、どんな)影響を受けるか、誰から(何から、どんな)影響を受けないか」


「誰の(どの)言葉を受け取るか、誰の(どの)言葉を受け取らないか」


【自分で選べるし選んでる】んだってことに気付いたからなのですひらめき電球


安住村でのチェック項目の「自分の責任」っていう言葉も私にとってはもの凄く大きな影響を受けましたビックリマーク


自分の責任で聞こえてくる言葉や目に入る言葉も選んでなかったし、無意識に全ての存在全ての言葉を受け取って嫌な気持ちになって「いなくなって欲しい」とか、


勝手に言われた言葉を受け取ったのは自分なのに、勝手に傷ついて、勝手に相手のせいにして、そういう世界を勝手に創り上げてた。


「言われても受け取らない」

「聞こえても聞かない」

「目に入っても見ない」

っていう選択肢がなかった。


これまでの人生「言われた」「聞こえた」「目に入った」全部受け身だった。


だから、多分嫌なことは変わらず目の前に在るのかも知れないけど、嫌なことが目に入らないくらい目の前のことに集中してたら、結果的に良いことしか起きてないんだよね。


「良いことしか起きない」とか「選べる」


って言葉も以前の私なら履き違えてた。

「良いことだけ選んで嫌なことは排除」っていう捉え違い。


だからいくら同じことを学んだり聞いたり行動を起こしたりしても、言葉の捉え違いをしたままだと何の身にもならないし、一生捉え違いしたまま誰かや何かのせいにして生きて苦しんでたと思うとゾッとする。


だからまず、そもそも整ってない人達の状態を理解した上での安住村の「整えること」が最初の土台で課題であったことが本当に有難い💖