ベクトルの向きと深度が傲慢で終わるか解決力になるかの別れ道 | 自分の世界の創り方

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頭の中を変えるだけの浮ついた「現実から逃げる法則」から、

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日々の生活の中での自分のつまづき、惨めさ


結果を出す人はしっかり目を見開いて今起きていることの中から自分の問題点を正確に見つけ出し、しっかり分析して的確な解決方法を導きだしている。


通常人が外側に向けているであろうベクトルを常に自分に向けているからだ。


「フワスピの人はどうこう」とか批判するのは簡単。だって皆がそれを言い出したから(笑)

分かったつもりで一緒になって叩いたり批判するのなんて簡単。


でも、自分にベクトルが向いてる人の視点て「自分がフワスピだったら」 の視点でカツも入れるけどそもそもそうなってしまったその人の裏側まで見てフォローも入れるし、じゃあどうしたらいいかっていう「解決策」に導く発信になっている。


批判で終わるのはただプライドが高いだけの傲慢だし、優しい言葉・甘い言葉だけ投げかけるのも自分に依存させたいだけの傲慢。


発信者のベクトルがどこに向いてるかを見るって、同時にその人の人柄とか優しさ、愛の深さも分かるなって思います。


ちゃんと深度を深くして、目を見開いたまま暗闇まで潜って真実を見つけに行ってるから、フワスピの悲しみや痛みまで全部抱えたまま浮上するよね。


それって自分事に置き換えて自分事として自分にベクトルを向けないと出来ないことだから。


批判するだけ、優しい言葉かけるだけの人って自分にも他人にも優しくないなと思うのです。


他人の意見に同調して他人の言葉で話しているだけで、ちゃんと自分のことを見ていないということだから。


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