新津に帰郷した折に「煮坪」に行ってきました。意外に道が分かり難く、1回目は諦めて帰り、2回目にやっとたどり着きました。草水という地区にあるのですが、臭い水(石油)が語源の町名と言われてます。わたしが小学生だった30~25年前までは石油やぐらが新津市内のいたるところに建っていて、ことんことんとのんびりと油をくみ出していました。今はやぐらはほとんど撤去されて石油の町新津の面影はありません(写真ぐらいとっておけばよかったショック!)興味のあるかたは一度行ってみて下さい。日本の石油の歴史の一端をみることができます。

マニマニと歩くブログ-煮坪
煮坪の外観:近くに駐車場はありません!しばらく歩くしかありません。

マニマニと歩くブログ-煮坪2
煮坪の中:ここから石油が噴出していたとは。。。想像できないくらい静か。。。

マニマニと歩くブログ-排ガス口
排ガス口:新津の田んぼには土管が顔を出している光景をよくみかけます。自然ガスを抜くためとか。

【観光サイトからの抜粋】
真柄家(柄目木)の祖、仁兵衛が新発田藩の命を受け、荒地の開墾にあたっていた慶長13(1608)年頃、田家の山中で草水(くそうず)油(石油)を浮かべていた池を発見し、これが新津油田の始まりとなりました。油井戸の全盛時代には、油と水と天然ガスとが黒い液体となって湧き上がり、その勢いは1メ-トル余りにも激しく噴き上がったそうです。発する音は周辺の約800メ-トル四方まで聞こえ、沸々と物を煮ているかのようであったことから、油井戸は煮坪と呼ばれるようになりました。この煮坪は「越後の七不思議」の一つとして聞こえ、橘崑崙(こんろん)の「北越奇談」にも紹介されています。明治以降石油の乱掘のため煮坪は自噴する力が弱まり、現在は当時の面影をとどめていませんが、新津の石油の原点に変わりありません。