第55回:「公益」とは何かを問い直すとき/高崎経済大学・西野寿章さん(後編) | 全国ご当地エネルギーリポート!

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-エネ経会議・特派員:ノンフィクションライター高橋真樹が行くー

今回のリポートは前回に引き続き、農山村の歴史を研究している高崎経済大学の西野寿章さんのインタビューをお届けします。過去の農山村の人々が必死に電気事業を立ち上げた経緯などをお話いただきましたが、今回は戦後の農山村での電力事業と、現在の電力会社のあり方について伺っています。今回のキーワードは「公益」。全国の農山村をめぐって調査してきた西野さんの「原発事故を経た今こそ、電力事業とは何か、公益とは何かについて向き合う必要がある」という言葉には、説得力がありました。

今回のトピックス
・無電化地域は戦後もあった
・「公益」とは何かを問い直す
・電力を公営化すれば地方が豊かになる



小田原の「ご当地電力」であるほうとくエネルギーを中心とするグループは、大正時代の小水力発電を整備して、地域の史跡として残そうとしている(提供:ほうとくエネルギー)

◆無電化地域は戦後もあった

農山村の中には、戦後も電力が届かない無電化地域が多く存在していました。そこで1952年に農山漁村電気導入促進法が成立、農山村を電化する流れが加速していきます。その前年の1951年には、九電力体制ができていて、地域ごとに大手電力会社が独占するという体制を目指す中での法律制定でした。

そんな中、農村では各地の農協が主体となって小水力発電を設置する動きが始まります。発電所を作るお金は、農協にお金を貸し付ける機関として設立された農林中央金庫が担いました。最も盛んだったのは、広島など中国地方の山間部です。ここでも住民が出資という形で資本参加しています。参加しているのはほとんど農業者なので、耕作地の面積によって何口以上出しなさいと決めた農協もあります。当初はつくった電気を自分たちのために使用していましたが、余るようになると、電力会社の送電線につなげて売電するようになります。1970年代に原発が動きはじめる頃までは、日本の農山村の電気事業というのはそのような形が珍しくありませんでした。

戦前は、農協が主体になった電力事業というのはありませんでした。なぜ戦後にこのような形になったのかという理由は明らかになっていません。しかし私は、アメリカで広まったスタイルを日本に取り入れたのではないかと考えています。アメリカでは1930年代にニューディール政策の一環として、農協が主体となって農村が電化していった歴史があるからです。

1964年の東京オリンピックの時には、大手電力会社は地域独占体制を確立していました。しかし、農山村地域では電気の届かない家屋がありました。また、この時期になっても自治体が電力供給を行っている地域もありました。最も遅い所は、1955年の設立時に住民が出資して始まった北海道のオホーツク海沿岸にある雄武町と枝幸町です。この事業は、1974年まで自治体が電力供給を行っていました。その74年には北海道電力に移管されるのですが、無償ではなく、設備を北海道電力の仕様に合わせるよう、住民負担で改良しなければなりませんでした。戦後の九電力体制は、地域独占が許可される代わりに電力供給が義務づけられたはずだったのですが、実際はそうではなかったことがわかります。


水量が豊富な屋久島の大川の滝。屋久島では、九州電力に頼らず、住民が関わって独自の電力システムを築いてきた

同様に、採算が悪い地域には電気を送る際に地域に負担金を要求するケースもありました。現在でも屋久島は九州電力が発電も送電も行っていませんが、そうなっている理由も、やはり採算性の問題が背景にあります。私は、地域独占を許されているのに、採算の合わない地域に負担金を要求する姿勢はおかしな話だと考えています。

◆「公益」とは何かを問い直す

私が農山村での電力事業を調査・研究している理由の一つには、「公益事業」という観点から電力を見直す必要があると考えたからです。その思いは、3・11を経験してより強くなりました。本来、電力事業は人々の暮らしに欠かせないインフラ、いわば公益的な事業です。だから場合によっては、儲からなくても住民のために必要なことをしなければならない存在なのですが、電力をはじめ日本の公益事業の歴史をたどると、「儲からなければやらない」というケースが多々あります。それでは民営とどこが違うのでしょうか?東日本大震災と原発事故を経て、私たちは「電気事業とは何か?」「公益とは何か?」について問い直す必要があるのではないでしょうか?


切り株を運ぶほうとくエネルギーの志澤昌彦副社長(中央)。かつて地域でエネルギーをまかっていたことを見つめ直し、小田原を盛り上げたいと言う

ヨーロッパでは、公益という概念がきちんとしています。公共交通や社会インフラを考える際に、採算が合わなくても整備をしている例がたくさんあるのです。ドイツのフライブルグという町は、今でこそ世界的に知られる環境都市ですが、1970年代には自動車が増えすぎたことで、騒音や排気ガスなどであふれ、都市環境は悪化していました。そして森の木々が枯れ始めたことの原因が酸性雨であることがわかると、排気ガスを出す自動車を町から減らそうという流れができていきます。対策として、都市交通の要にかつて利用していた路面電車を活用した町づくりを進め、自動車を閉め出すことに成功しました。

◆電力を公営化すれば地方が豊かになる

電力会社は、地域独占を許されてきたのだから、利益が出るのは当たり前です。しかも経営努力を必要としない総括原価方式(※)によって電気料金が決められてきました。その利益をどう使うのか、というときに本来であれば自分たちが公益事業であることを意識して、もっと地域還元とか消費者に目を向けないといけなかったはずです。しかし、電力会社は単なる私的利益事業になり、大きな経済団体として地域の政治経済のボスとして君臨するようになってしまいました。

3・11の震災のあと、東京電力の社長の年収が7200万円だったことがわかりました。大企業の社長としてはおかしくないのかもしれませんが、公益事業という観点から見ると、私はおかしいと思うのです。電力会社の社員の給与も高すぎる。公務員並みにすべきではないでしょうか。これからの電力事業は、きちんと公益事業体としてのあり方をきちんと考えるべきです。


「公益とは何かについて問い直すべき」と語る高崎経済大学の西野寿章さん

私はいずれ電力会社を公営化して、都道府県に分割すれば良いと考えています。その電力会社には住民が出資できるようにすることで「地域の電力公社」ができます。その利益を分配していくことが、本当の公益事業になるでしょう。それぞれの地域が自主財源を持って、利益を住民に分配するという持続可能なスタイルが確立されれば、地方の少子化が進んだとしても、生き残っていけるはずです。

また、地域で運営することでエネルギーが身近になり、一般の人たちが自分たちの使うエネルギーについて関心を持つことにもつながります。そのときに、それぞれの地域で行動を起こしている「ご当地電力」「ご当地エネルギー」の存在も重要になってきます。電力の公営化とご当地エネルギーの動きが重なる事で、地域に根ざしたエネルギーシステムが実現できるのではないでしょうか?

※総括原価方式
事業の総費用に利潤を加えた「総括原価」をコストに反映させる仕組み。この方法でコストを算出し、電気料金を徴収することで事業者は絶対に赤字にはならないだけでなく、大規模な設備を作れば作るほど収入が増える仕組みになっている。電力に関しては電気事業法で定められてきたが、今後の電力自由化を見据え、見直しや廃止が検討されている。

(前編はこちら)

◆関連リンク
神奈川県小田原市のほうとくエネルギーについての記事はこちら
ほうとくエネルギー第2回
100%自然エネルギーの島、屋久島の電力システムについてはコチラ

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