一言で言って小田原環境志民ネットワークのガバナンスがなっていないと感じます。
この1年、昨年来から私がずっと声を上げ続けてきた(五年来の案件)懸案には何一つ具体的な取り組みもしていなければ、具体的な成果もあげていません。
理事・監事は会社で言えば役員です。会社で言わなくても役員です。この役員たちは一体何をしていたんですか?コーディネーターは何をしていたんでしょうか?
私は会としての在り方をきちんと整理してください。
そう、申し上げました。
それを全会員に開かれた形で行ってほしいとも言いました。
率直に書けば、理事に対する強烈な不信があったので私はそういう話をしています。
にも関わらず「こうあるべきだ」という方向性は役員が作ると譲らなかった。
そんなものがあるなら、もっと早く出してくれ、とも思うし、そもそも役員の動き方、仕事の仕方、コーディネーターの動き方、仕事の仕方に問題があるからそう言っているのに、その問題のある人がこしらえてくる改革案など
改革案の名に値しない
ものが出で来るに決まっているではないか?
それで今度、1月に全会員から希望する団体を集めて意見交換をする、ということだが、
それって懇談会ってことでしょ?
懇談会は何か議決することが出来るわけではないので、じゃそこで、
こんなのちゃんちゃらおかしい。改革の名に値しない
そういったら、否決できるのか?
出来ませんね。
こんなの何の意味もない。
茶番です。
が、私は徹底的に詰めてやろうと思っています。
なぜか?
今の理事の中で更に三役という正副会長がいます。正直、この3人の進め方が誠によろしくない。
私は総会で「あり方検討会議」なるものを作って、そこで会員からそこに関わりたい人を募集して会合を開くことを提案したわけです。
そもそも私は、総会というのは1年に一回で、役員はいろんなことを議論しているから知ってもいるんだろうけれど、
我々は全然情報が入ってこないわけだから、しっかりと審議する時間が欲しい。
一時間ではなく、もっと長い時間をかけてやって欲しい、そういっているのですが、相も変わらず一時間の時間は変わらないのでどうしても時間は限られる。
だから、「あり方検討会を設ける」という事をつめて求めるということを何度もやると時間もかかるから、
会長が「そういう方向で云々」ということを了とする、ということをやったら
いざ、何でやらないんだ、というと、「あり方検討会をやるとは約束していない」と開き直るからです。
そりゃ、議事録上はそうですよ。
だけどってな感じの事がこの正副会長はことあるごとにそういうことをやる。ちょっと信じられませんね。
そのくせ、議事録に明確に決まっていた「フォーラムやシンポジウム、環境祭りみたいなイベントはやろう」とこれこそ明確になったのにそれはやらないで終わりそう。
今の理事たちは、何を根拠にして、どういう理屈で(理論)で意思決定をしているか?全く意味不明です。
私からすれば思いつき、その場しのぎやってとしかうつらない。
もう一つ書けば、昨日、第2弾のグリーンセレクションの募集が始まったですが、
第1回目の認定の時に、非常に審査をするときに不明瞭なところがあったのです。
不明瞭というか、なかなか判断がつきにくい、ということもあって(私も認定のメンバーですので)
この辺りは整理をしていきましょう、
となっていたはずなのに、
一度も整理する議論も行われず、従って方向性もブラッシュアップされず、それをそのままにしていきなり第2回目のブランド認証を募集し始めたので、私は文句を言ったのです。
流れとしてはブランド認証委員会で論点を整理して方向感を出し、役員会にかけて修正し、ここで了承されて初めて第2回目のブランド認証が募集開始される。
普通はそういう段取りを踏むバズです。
それをそういうことすら気づかず、思いつきでやる。
私が問題にしたのは、今の審査基準だと、この場合はどうするの?あの場合はどうか?ということが起こってしまう。
それをその時々の状況に応じて、とやったら、それはある種の恣意的な運用ということになってブランド認証そのものの信頼が揺らぎかねない。
だから、そのあたりをきちんとブランド認証メンバーが意識統一、意思統一をしっかりして誰誰が恣意的に選んだとならないようにしなきゃならない。
ということを私は話したのに、その部分が完全におざなりになっているのです。
そもそもブランド認定料は3000円なのに、今回もまたタダにするということがいきなり役員会で決まっている。
それはおかしいじゃないか?ということも申し上げました。
まずは一義的にブランド認証委員会で話をして、そこでの合議に基づいて役員会で図るんでしょ?
それが筋です。
どうもこの役員会のやり方というのは、理事の選任から、議決まで
勝手気まま、脈絡なし、出たとこ勝負、思いつきで物事を執行しているようにしか見えないというのはそういうことがあるから話をしているのです。
先にも書きましたが理事というのは会社で言えば役員=取締役です。
会社であろうが一般社団法人であろうが凡そ集団組織の方向性を10年先を見据えてどう構築していくか?を考えることが役員の主たる役割ではないでしょうか?
今の理事たちは残念ながらそういう役割を果たしているとは言い難いです。
私はもともと推薦もされたし理事をやろうとしていました。
それを当時の守屋市長との関係が悪いからということで理事を辞退して代わりに中嶋君を理事にしました。
2年後に改選があって、理事をどうするのか?と思っていたら、会員に周知もされず、役員会で勝手に理事を再選任してしまった。
これについも「とんでもない」と言って、総会では私と一部の人が反対しましたが、結局、賛成多数で通ってしまったのが今の理事です。
私からしたら選任の方法に瑕疵があるのだから、その理事に権限などないではないか?と思っています。
総会を経てるんだから有効というでしょうが、そもそもの選任に瑕疵があればその意思決定は取り消し、無効とならざるを得ない、というのが本来の判例です。
だから、裁判やれば間違いなくこっちの理屈が勝つでしょう。
だけど、たかが環境志民ネットワークの役員ごときで、そんな訴訟費用かけてやるバカはいませんからこうした決定を甘んじて甘受しているだけです。
こーいういい加減な手続き、執行は基本的に許してはいけないのです。
正当性の根拠
(レジデマシー)
があるか?
ということは民主主義的な意思決定プロセスでは非常に重要なのです。
この国は独裁国家ではありません。まがいなりにも民主主義国家です。であれば民主主義的な価値を大切にする、ということが必要なのです。
あり方検討会だって、総会でやろうと決まったのに(役員連中はそんなことは決まってないというけれど)、
再度それを役員会にかけるなんて言うから、一体、何を根拠にそれをもう一度役員会にかけてなんて運用をするのか?とも申し上げました。
環境志民ネットワークのガバナンスは理にかなってない
私は、これからの環境志民ネットワークがどうあるべきか?ということについて、今の会員の意向調査、アンケートですね?
というものをやるべきだということをこれは何度も申し上げています。
しかしこれすら全然やらない。
どうかしてますよ。。。
はっきり言って、会をこれから先どうして行こうか?という意欲と行動がない人は理事など引き受けるべきではない、と思っています。
あとは自分の活動をアピールするために肩書だけもらってるような理事
私のようにやる意欲があったのに、それを理事にさせないようにしたわけでしょ?
それで自分たちが理事になって何かきちんとやってくれるならいざ知らず、先述の如く何一つやらない。
というとこだったら頭にくるのは当然です。
話を元に戻して、会が設立されたときの理念・目的があり、今の会員はそこをきちんと理解しているか?齟齬があるのか?あるとすればどういう会にしていくべきか?
まずはそこを把握してから、組織論?体制整備でしょ?
それをいきなりこーいう形にします、という組織論や体制整備をしたら
器つくって魂入れず
になると私は思っています。
結局は人なんです。
例えば私みたいに、小田原の森里川海を守っていくには、その守っていく団体の持続性がないといけない。
その為には経済を回さないといけない。
そうであれば会にお金が入ってくる形として任意団体でいいのか?一般社団やNPOも含めて検討をしておくということは必要ではないか?
あるいは
お金が会に入ってくる形としては寄付がいいのか?ブランド認証がいいのか?会費がいいのか?助成金や補助金?がいいのか?
それらを受けるときには組織として器はどうあるべきか?
こーいうことを考えながら手を打つっていうのが私は理事の役割だと思っているのです。
私は個人的には環境志民ネットワークは一般社団法人にしたらよいのではないか?
という立場です。
しかし、いますぐじゃない。
だからこそ様々なことを整理して来るべき時に備えようというのに
そういう議論をやろうともしない現下の理事たちは私は役員不適格だと思います。
それは繰り返しますが、理事をやろうとした人間を差し置いてやっている人間たちのやることではないと感じてるからです。
猛省してもらいたいと思います。
しかし、一方で、私のようにイケイケゴーゴーで環境志民ネットワークを見ている人だけではないというのもあるでしょう。
だからこそ、会員は今どう思っているのか?ということを把握する必要=会員アンケートを行う必要がある、といったのです。
なお、付言すれば、会員の言っている通り、思っている通りにする、というものでもないです。
この環境志民ネットワークというプラットフォームが出来た背景、理念、目的を考えて、そこと会員の思いに齟齬があるならば、それこそ、そこは会員研修などを通じて会としての思いを伝える必要はあるかと私は思います。
会を作ったときの背景や思いや理念がやれないなら、会などは解散して、それぞれが自分たちの活動を勝手気ままにやればいいのです。
しかし、そーいうわけにはいかないよね?それじゃ小田原の森里川海は守れないよね、ならどうする?
ということを真剣に考え、様々な会員の思いがそれぞれ叶えられるように組織を見直し、体制を見直していくということをやるのが
理事・監事という役員
ではないですか?
それをやらないことを
不作為というのです。

