新潟市歴史博物館で感じたこと… | おやまだやまと公式ブログ『推譲(すいじょう)』

新潟というところは実はあまり見るものがなくて…笑


ホテルオークラに宿泊してるわけですが…3時にチェックインということで12:30位につきまして


ご飯を食べて2時過ぎからさてどーするか?


となりまして…


新潟市歴史博物館に行くことにしたわけです。


でも、行きたいとなったのは私だけで(笑)じじ、ばば、娘は車で待っている、となりまして…


そこで、初代新潟奉行になりました川村修就(ながたか…これでながたかと読むのはわからない)の


蜑(あま)の手振り



という新潟の風習を描かせた巻物があるのですが、それを見る機会がありました。


鮭の漁の様子や今にも続く祭礼の様子など


ホントに活き活きと描かれていて、その江戸の当時の人々の活気にあふれ躍動感を感じる描写に


絵が今にも動きそうな


そんな感じがしました。


当時の風俗や風習を知る資料としても風俗史、庶民史、民俗学の観点からも極めて貴重で重要な資料だと感じます。




それを観ていて改めて、日本という国や地域という空間の有り様というものを強く感じました。


私が講演などで、日本という国はいつから米をつくって来たのか?


そんな話をします。


2600年前なのですが、その時代にあった日本最古の田んぼが佐賀県の唐津の


菜畑遺跡


というところから出土してます…


日本人は2600年間にわたり米を作り、そうした生活の中から、歴史や伝統、風土、風習というのを作り続けてきたわけです。


新潟の民の暮らしをみてみても、農業をし、漁業を行い、その中で祭礼をしたりする生業が育まれてる様子が蜑の手振りで克明に描かれています。


つまり、一次産業というのが日本の、地域の文化や伝統、歴史の形成に極めて重要な役割を果たした、


ということがわかるわけです。


今、一次産業は瀕死の状態です。


全てが持続不可能な状況に陥りはじめています。


しかし、日本を日本たらしめている、地域を地域たらしめている、それは何か?と問われれば


一次産業であり


一次産業がなくなる、ということは、文化や伝統、歴史の継承としての地域がなくなる


日本という国は、国土形成的な観点からも


寄木細工のような地盤をしている


と昔、生命の星地球博物館の館長だった斎藤さんが話してましたが



それぞれの地域に、新潟には新潟の、小田原には小田原の文化や風土や風習があり、個性豊かな人がそこにいる。


その集合体が日本という国そのものではないか?


私はそう思ってます。


それが無くなるということは国が無くなる…そういうことです。


私が農業をシャカリキになってやってるのはそーいうことからなんです。


改めて、蜑の手振りを見て、そのことへの想いを強くした次第です。


ホントに行く所がなくて、時間を潰す意味で行きました歴史博物館で思わぬ収穫を得ることができました。


歴史博物館の外観

第4銀行の視点の外観


第4銀行の内観


棚ぼたです(笑)


勉強になりました…


さて今日は新潟から奥磐梯を経て会津若松に行きます…