自分らしく生きるとは、



「フツウ」に見えるように取り繕って生きるよりは、人とは違うことを残念だけど受け入れて、自分を生きることよりほかにないのかもしれない。



…3/3に書いて保存に残ったままでした。



最近の心境。

ヒトらしく振る舞おうとする過度のカモフラージュをやめて、

人とは違っても自分のありのままを受け入れて、自分らしく自然体でいて、その結果何かあってヘンと思われるようなことがあったとしても、その自分を恥じる必要など全然ない。



だって、定型発達人で、すごくおかしい人多いということがよくわかったから。

わざと意地悪をする人、それも弱い立場の人間に。そして表向きには都合のいい理由づけをして、意地悪とわからないような仕方で。あなたはこういう人間だ、とぐさっとくることをわざわざ本人に言ってくる人。聞いてもいないのに、あなたはこういう人だって言いたがる(しかも断定)。そういう人のほんとに多かったこと!箇条書きできるほど、トラウマ・オンパレードです。そんなに言われちゃうなら、やっぱ自分がおかしいの?って思いがちだった。



でも、わざわざ人を傷つけることする人たちに比べたら、文脈が読み切れなくてちょっとくらいズレたこと言ってしまうとか、かわいいもんで、人を傷つける意図で言ってる訳じゃないし、悪意もなくて、ぜーんぜん悪いことしてる訳でもないんだから、自分を恥じずに堂々といたらいいかなって。



自分が自分を受け入れて、堂々としてたらそれでいいのかなって。



ニンゲンらしく振る舞おうとするカモフラージュ、これがほとんどかなりのストレスだったことに気づいた。他人がストレスというよりかは、他人に変に思われないように演じつづけていることが消耗の原因だった。そして、おそらくその不自然さが人にもわかって、この人ほんとはどういう人なんだろう、全然本性が見えない、と思われて、結果、変な人になっていたのかもと感じる。

とてもねじれているがどうもそんなふうに思える。



ハハのコトバ、⚪︎⚪︎ちゃんみたいな笑顔ができるようにならなきゃ、とか、そういうときはこういうふうに言うの、とか、そんなこともわからないの?



自分のなかではアドバイスというよりは、自己否定になってしまっていて、物心つくころからアニに攻撃否定されるのも、どうも他の人にはそんなことなくてわたしだけみたいと傷ついて、人の振る舞いを観察して同じようにしなきゃと思ったのは幼いときからなので、歴が長くて身に染みているので、もはや自然体な自分とかあるのかどうかもよくわからないんですけどね。



そして、意地悪な人に比べたらっていう言い方も、ずいぶん恨みがましいかな、とも思えるけれど、今のわたしにはそういう仕方で自分への肯定感が湧いてきたんです。



今晩もみなさまに安眠が訪れますように飛び出すハート