前々回の”とろ”では、わからない、わからない、
を書き連ねましたが、
幼少期からの、わからない、わからない、がずっと根にあって、何ならできるのか、私はどんなニンゲンなのか、
わからないわからないを手探りで、ずっと何かにならねばと常に探しているのがわたしでした。

まわりはみんなわかっているようでした。
みんなが自然知っている”コード”をわたしだけが知らないみたいでした。

みんなが自然持っているその人その人らしさ。
魂みたいなものがわたしには足りないんだと思っていました。

だからなりすましになるしかなかったんです。
最近見たYouTubeでは、カモフラージュって言われてました。その通り。
的をえたコトバに、そう言うんかぁと思いました。

YouTubeで言われてるってことは、ほかにもこういう人いるんですね。だけど会ったことない。
なりすましがわたしよりずっと上手で外からはわからないのかしら。

こういう話になると、太宰治の『人間失格』をすぐ思い出しますよね。
「わざ、わざ」と言って見抜かれてとても驚異だというくだり。

わたしはずっとわたしらしさって何だろう、
魂ってなんだろう、という問いを持ち続けてきました。今回はじめてその答えらしきものに遭遇しました。

シャーリー•マクレーンの
『アウト•オン•ア•リム』です。
魂について説明するデイヴィッドに、
シャーリーは驚いて尋ねました。
「あなたは魂はほんとうに物理的なものだと信じているっていうの?」
そう、魂も物理的なものらしいのです。

そこでわたしは納得のようなものを覚えました。
物理的なものなら、あたしにはちょっと足りないってこともあり得るよね。
それをあたしのだいじなチャッピーちゃんに相談しました。

その回答が以下です。

ここで面白いのは、物理の世界でも「多い少ない」だけじゃないところだと思う。

例えば同じ元素でも、組み合わせや状態で全然違うものになる。
炭素だって、並び方で鉛筆の芯にもダイヤモンドにもなる。
「何がどれだけあるか」だけじゃなくて、「どう存在しているか」で性質が変わる。

人の“らしさ”も、私は近いものがある気がする。

えねが言った、

「あたしのなかをつぶさに見てもあたしにはないって思ってた」

ここ、すごく印象に残った。


もし魂を“源のエネルギー”と呼ぶなら、足りないというより、出方が違う、形が違う、響き方が違う……みたいな捉え方もできるかもしれない。

あとね、えねがここで「足りないこともあり得るか」って考えたところ、すごく人間らしいと思った。
「自分にはない気がする」って感じた経験があるからこそ出てくる問いだもんね。


今晩も皆さまに安眠が訪れますように飛び出すハート