おねえちゃんや甥っ子のおかげで、とっても楽しい年末を過ごしているので、この内容を書くのもどうかと思ったのだけど、やはり年内におろしておきたいなぁと書いています。
単純なわたしは、叶えたい夢は口にして、いろんな人に話をしていると良いと聞けば、誰かれ構わず話していた。自給自足の古民家暮らしをしたいと。
前回の飲み会で話したんですよね、その方に。
次の飲み会の二次会で、割と最初のほうでその方が切り出してきました。覚えていたんですね。
しかし、そのときはそういう話題でなかったから、こちらもこの人は何を唐突に、しかもいきなり抜いた刀を振り下ろすような仕方で人をバッサリ切るのだろう、と思いました。
「これまで何ひとつ成功したことない、何かやり遂げたことのないあなたのような人間が、自給自足とかできる訳がない。だいたいふだんからして、言葉が軽い。」
こんなにも人を傷つけることって言えるんだろうか。
嗚咽しながらずいぶん歩いたあとに、バス停付近でちょうど来たバスにすーっと乗って家に帰り着いたのでした。
「ふだんから言葉が軽い」
それにもね、事情がありました。
前に、「自分がいちばん不幸みたいな顔してる」
ってそのときも唐突に言われたことがあって、
そうか、って思って、笑顔でいて軽口も言ってよく笑って振る舞うようにしていたところ、今度はそのように言われたのでした。
(自分がいちばん不幸だと思ったことはなかった。)
週1回の教室で会うだけの、自分のこと話したこともない全然知らない人にこれまでのことを言われるとは一体どうした事なのだろう。
知らないだけに、じゃあ逆にこの人は私の何を見てそうまで言えるのか。外見に滲み出ている何かがあるのか。それとも実は天からの声で、その人を通して聞いているに過ぎないのか。
そうじゃなきゃ説明がつかないじゃないか。
直後のdevastating damageを乗り超えたあとも、時おりやっぱり思い出してしまう、前と後ではこの世界が変わってしまった出来事で、かさぶたはとれたけど、完全に元の通りではない痕がまだ少し残っている。
自分の傾向として、言わんとしている内容よりも
(たぶんそのことの意味を噛みしめてこれからに生かすことのほうが重要な筈なのだが)
言葉そのものの響きだけが残ってしまっていて。
あなたのような「人間」というヤツである。
あなたのような「人」と言われたらば、もう少しキズは浅くもあっただろう。あなたのような「ニンゲン」ときたら、もう渾身の力を込めて否定にかかっているような救われる余地もないような。
こういう感受性と性質のニンゲンは、そこだけが切り取られてその刃をエンドレス回転してしまうのです。
自分との付き合いも長くなって、そういう性質をわかってる今では、それだけをリピートして錐の先を自分の奥深くへ切り込まなくていいんだよ、とわかっているので、まぁうまくやっています。
相手の言葉に全幅の信頼を与えて、全自己攻撃に向けない。
けれどそのことが起こる前の世界にはもう戻ることはできない。
あんまり知りもしない人に、アドバイスを求められてもいないときに、あなたはこういうニンゲンだと鉄槌を下す。いきなり斬りかかられたニンゲンはそれを抱えて生きてゆくことの起こっていることの、この世界にあることを、ネットの世界に放流させてもらったのでした。
言葉そのものでなく、言われたことの意味を考えてみること。耳が痛い部分があるということは、どこかで自分がそう思ってる部分があるということ。
まぁ打ちひしがれてばかりもおらず、喜びの人生を謳歌すること。
最近の自分、結構好きです。
こんなふうに、掘り下げはすれど、そのまま自分全否定に走らない。
恨みが胸のうちに渦巻いてた頃は、まわりの人のアラばかり目について、あの人はああいう人で、この人はこういうとこあるけど、自分は違う。自分は絶対そんなふうにしない、と思って生きていた。まわりの批判ばかりして(口に出して言わなくても)、自分が自分の人生を生きられていなかった。
自分の人生を生きるとは、今ここにこの命あることに感謝し、喜びを煌めかせることだった。
最近いい感じです。
入眠前の感謝の儀式もして、どんどん変わってゆける変化を味わっているところです。これからどこに向かうのか。
読んでくださってありがとうございます。
年の瀬に棚卸しができて、心が結構軽くなってしまいました。
読んでくださった方にとっても、読む前と後の世界は少しく変わっているものですよね。
今晩もみなさまに安眠が訪れますように
よいお歳をお迎えくださいませ