ネットビジネス独立起業ストーリー

ネットビジネス独立起業ストーリー

元普通の会社員、自由を求めて、上海移住、独立起業10年!波瀾万丈、山あり谷ありの人生! リアルビジネス、ネットビジネス兼業の異色のアフィリエイターの独立起業ストーリー

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メルマガでブランディング?


一番最初の記事から順番に読む
前回記事:未知の世界の続き


上海に居ながらにして、遠隔地である日本から
どうやって新規顧客開拓すれば良いのか?

完全に行き詰まっていたのです。


ぼんやりと「ネットで集客」としか
アイデアがありません。


果たして、素人が作った会社のホームページに
素人の見よう見真似のSEO対策で集客出来るのか?

当然ですが自信などありませんでした。



そんなとき、上海で食事をご一緒した
○○コンサルタントのKTさん
(リアルビジネスのコンサルタント)から
もらったヒント



それは

「メルマガをやってみてはどうでしょう?」

「メルマガでは会社を売り込むか、自分自身を売り込むか?
を考えなくてはいけないです。私の場合は自分自身のブランド化
を意識しています」

でした。




「メルマガで自分自身をブランド化する???」

衝撃的でした。

当時の私にとって、考えたこともなかった
まるっきり新しい発想です。


それまでの私には

メルマガは購読するものであり
自分で発行するなんていう発想は
微塵もありませんでした。


しかもそれがブランディングになるなんて・・・



私の心の叫び
  ↓

「しかし待てよ。確かにKTさんは、起業3年目にして、
完璧にブランディングできている」

「だったら俺にもできるはずだ!」

「自分は上海にいるんだから、上海に係わるメルマガ
であれば、他の人よりも有利なはずだ!」

「よし、やるぞ!」


この時、長い長いトンネルを走っていて、
遙か彼方にようやく微かな光が見えてきたような・・・

その微かな光に向かって、暗闇の中を
何度も躓きながらも、必死に走っていく・・・

そんな気分でした。



ふっと気がつけば、私は夢中になって
メルマガの発行について情報収集し始めていたのです。


ビジネス系で
多くの読者を抱えているメルマガ
を片っ端から読み漁りました。


メルマガで広告収入だけで
ビジネスをしている人もいることを初めて知り、

「そんなパワーがメルマガにあるなんて・・・」
と信じ難いことでした。


当時は毎日が新発見の連続です。



そしてメルマガ読者のターゲットを決めました。

というか、売りたいものは自社のリアルビジネスの
サービス(新規ビジネス)と決まっているので
これにマッチした属性の読者をターゲットにする
ことで自然に決まりました。



そして、忘れもしません。

2005年○月○○日、
メルマガスタンドの承認が降りた日です。


人生初のメルマガ創刊記念日です。


あのときの興奮と希望に満ちた気持ちは
今でも鮮明に記憶に刻まれています。


「これから、メルマガで読者さんを
たくさん集め、ブランディングしていくぞ」
と意気揚々のスタートを切ったのでした。




次回へ続く
ホテル夜景



一番最初の記事から順番に読む
前回記事:上海起業2年目の試行錯誤の続き


当時検討していた新規事業での成功ポイント

それは
「上海に居ながらにして、遠隔地である
日本の新規顧客開拓をいかにして行うか?」

でした。


具体的な新規顧客開拓方法は
知名度、実績、資金面から考え
消去法でインターネットでの集客に
トライする選択肢しか残っていませんでした。


しかし、インターネットでの集客など
会社員時代、全くの無縁であり、
まるっきりの未知の世界でした。


「そもそもインターネットで集客など
本当にできるのだろうか?」

と当時の私は思っていました。



しかし、他に選択肢がありません。

「とにかくやるしかない」と考え
まずは自社のホームページ制作について
考え始めました。


資金的なバックがあれば
ホームページ制作会社に委託することも
考えたでしょうが、個人で起業した超零細企業です。

そんな資金的な余裕など、あるはずがありません。



そこで、同じ投資するならば、自己投資
(スキルを身につける)しようと考えました。

自己投資すれば、自分自身にスキルが残り
将来、貴重な財産になると思ったからです。


自社のホームページを制作するために
html、CSSなどの教材を購入して
ど素人ながらも会社ホームページを
約1ヶ月でとにかく立ち上げました。


いま考えると、むちゃくちゃですが
とにかく目に見える形にして、サーバーに
アップロードしたのです。


しかし、あるホームページ制作会社の社長さんに
営業で訪問挨拶に出かけた際、

「御社のホームページですが、IE以外のブラウザで検索すると
ぐちゃぐちゃにくずれて表示されますよ、ホラ」

と、その場でインターネットで検索して見せられ
顔から火が出てきそうでした。


いま考えると
とっても恥ずかしいホームページですが・・・



自分自身の力で自社のホームページを
立ち上げたという、この行為自体が

その後の私にとって、
大きな大きな第一歩になったように思います。



その後、どんどんと新しい知識を貪欲に吸収して
いくことになります。


テンプレートを使えば、IE以外のブラウザでも
表示が崩れないホームページを簡単に作れることも
知りました。


また、いま考えれば当然なのですが
ホームページは作っただけでは
誰もアクセスしてくれません。


当時、初めて狙ったキーワードで上位表示するための
SEOという手法があることも知りました。



これまたSEO業者に依頼すれば
高額の費用がかかることを知り
またまた自己投資し、SEOの基礎知識を手に入れました。

実はこれが後々の私にとって大きな武器のひとつになるのでした。




ちょうどSEOの勉強をしている頃のことです。


当時、購読していたメルマガを通じ
発行者の○○コンサルタントのKTさんと出会います。

KTさんはブログを運営していましたが、
SEOにはほとんど興味を持っていませんでした。


KTさんは独立起業3年目、私より若いですが
起業は私より1年先輩です。

当時、リアルビジネスの○○業界にて
メルマガとセミナーで知名度がぐんぐん上がっていた方です。




毎日送られてくるメルマガで
KTさんが上海へ出張で来られることを知り
思い切ってコンタクトし、上海で食事をご一緒しました。


私は思いきって
ビジネス上の課題について相談してみました。



いまでも忘れられないKTさんのコメント

「メルマガをやってみてはどうでしょう?」

「メルマガでは会社を売り込むか、自分自身を売り込むか?
を考えなくてはいけないです。私の場合は自分自身のブランド化
を意識しています」

です。



「メルマガで自分自身をブランド化する???」

衝撃的でした。

当時の私にとって、考えたこともなかった
まるっきり新しい発想でした。





次回メルマガでブランディング?へ続く
上海ブーツビル



一番最初の記事から順番に読む
前回記事:叩きつけられた現実の続き


時は既に起業2年目に突入していました。


起業1年目をビギナーズラックで乗り切った私は、
ある考えから、半ば強引に新規事業の
ビジネスモデルを決め営業を開始しました。


このビジネスモデルはいまだかつて
誰もやったことがない珍しい方式を
採用していました。


成功すれば大きな収益に繋がります。

しかし、誰もやったことがない方式なので
正直なところ不安で一杯でした。




営業経験ゼロの私は
早速、次の大きな壁にぶち当たります。


この新規事業の成功ポイントは
上海から見て遠隔地である日本で
新規顧客を開拓することです。


「さてこの壁をどうやって攻略すべきか???」


私は営業の素人、経営の素人です。


とにかく日々情報収集して勉強しまくりました。

上海在住の関係で日本の書籍は入手しづらいため
インターネットでの情報収集が主でした。


当時、たまたま購読していたメルマガの
ランチェスター経営、弱者の戦略も好きでした。


ランチェスター経営によると

基本戦略    (弱者)差別化戦略  ←→ (強者)ミート戦略
主義(商品戦略)(弱者)一点集中主義 ←→ (強者)総合主義(物量戦)
地域戦略    (弱者)局地戦    ←→ (強者)広域戦
流通戦略    (弱者)接近戦    ←→ (強者)遠隔戦
顧客戦略    (弱者)一騎討ち戦  ←→ (強者)確率戦
戦法      (弱者)陽動戦    ←→ (強者)誘導戦

です。


新規事業は遠隔地である日本から
新規顧客を開拓する必要があります。


しかし、ランチェスター経営から考えると

「上海に居ながらにして、遠隔地である
日本の新規顧客を開拓」

するのは遠隔地での集客であるため
弱者ではなく強者の戦略とも考えられます。



では、弱者の戦略である接近戦、局地戦、一騎討ち戦で
日本で営業すれば良い・・・

ということになるのですが、「上海に居る」ことが
大きな価値であり、差別化にも繋がるとも考えられます。


私の心は揺れました。

悩みました。


この頃の私は寝ても覚めても、
夢の中でも新規事業のことを
考え続けていたのかもしれません。


朝、目覚めると、一番最初に頭に浮かぶのが
新規事業のことです。

「いったいどうすれば良いだろう?」と・・・





上海から見て遠隔地である日本で新規顧客開拓するには

(1)日本で販売代理店を募集する。

(2)自ら日本に営業拠点を設立する。

(3)インターネットで集客する。

くらいしか思いつきませんでした。


しかし、まるっきり知名度も実績もない自社の
販売代理をしてくれる会社はほとんどないでしょう。

ましてや自ら日本に営業拠点を作るには
資金的にも無理があるでしょう。


したがって、消去法で
インターネットでの集客にトライするしか
選択肢がありませんでした。


しかし、インターネットでの集客は
会社員時代、全く無縁であり、
まるっきりの未知の世界でした。



・そもそも会社のホームページさえない

・ホームページ制作会社に委託するほど
 資金的な余裕はない


この頃の私は
目の前にそびえ立つ大きな大きな壁を見上げて
途方に暮れてしまう、そんな心境でした。



次回「未知の世界」へ続く
南京路歩行街


一番最初の記事から順番に読む
前回記事:上海起業1年目の迷いの続き


人材育成ビジネスの新規営業を中止した私は
早速、新規事業のビジネスモデルを検討し始めました。


しかし、なかなか良いアイデアが浮かばない日が
続きました。基本イメージは決まっているのですが
肝心の収益への繋ぎの部分がどうもしっくり来ないのです。

徐々に焦りも出てきました。



そこで会社員時代に親密な関係だったLさん(副総経理
(副社長))を訪ね、意見をもらうことにしました。

私はLさんとの久々の再会でウキウキしながら
出かけました。



Lさんと久々に再会し、挨拶を交わした後、
新規事業のビジネスモデルの説明をし始めました。


すると、Lさんの態度がいつもと違うことに
気づきました。

なぜか、あからさまな”上から目線”を感じたのです。

おまけに「こんなのビジネスになるわけないだろっ」
と罵声を浴びせられて、打ち合わせ終了です。


かなり衝撃的な事件だったのですが、
日を改め、気を取り直して、再訪問しようとしても
会ってもくれなくなりました。



実は、彼は私が会社員時代、”私”という人間ではなく、
私が所属している”会社の看板”を見ていたのです。


こういったことは、話には聞いていたので
頭ではわかっていたつもりですが、
これだけ現実をたたきつけられると
さすがに心が折れてしまいました。


Lさんの人間性と人間の醜さまで
見えてしまったような気がしました。


また、このとき、新宿の居酒屋料理人の友人Kさんの言葉

「上海で起業する日本人の80%以上が
3年以内に諦めて、帰ってくるって知ってるか?」

が耳の奥の方から聞こえてきたような気がしました。



いずれにせよ、自分の人脈なんて、人脈とは言えず、
全く頼りになるものではない
というか、頼りにしてはいけないと思いました。

”人脈”という言葉も大嫌いになりました。


過去の自分は一旦捨て、ゼロからスタートのつもりで
人と人との繋がりを一から育てていかなくてはいけない
と考えました。



零細企業である私の会社は、看板もブランド力も
皆無のため、頼りは”私”という自分自身しか
ありません。


もっともっと人間性を磨いて、自分自身を高めて
いかなくては、これから先、生き残れないという
危機感も感じました。



振り返ると、あの日あの時の衝撃的な出来事以来、
私は逆にかなり意識して、人との縁や出会い、繋がりを
大切にするようになったような気がします。


かれこれ10年経ったいま、改めて考えてみると、
あの日あの時、Lさんに罵声を浴びせられたことが
逆に良かったとも思います。


Lさんは私にとって様々な意味で
反面教師になってくれたわけですから。。。




結局、どんなビジネスでも、最終的には
人と人との信頼関係の上に成り立っているのは
確かです。



上海起業2年目の試行錯誤へ続く

上海


一番最初の記事から順番に読む
前回の記事:人生の分岐点


上海に移住したのは、いまからちょうど10年前
2004年2月の寒い日のことでした。

この日から私のノンフィクション起業ストーリーが
始まりました。


このストーリーの主人公は、その後、数々の苦難に
遭遇することになるのを知らずに意気揚々でした。




上海に発つ数日前、新宿のとある居酒屋で
料理人として働いている上海人の友人のKさん
(人生の先輩)に報告がてら、飲みに行きました。

カウンターしかない飲み屋なので、私は
Kさんの料理している場所の前の席に
陣取りました。



Kさん、憎めないタイプですが、かなり口が悪い
のが特徴です。


そろそろ来るぞ!
と思っていたら、やっぱり来ました。

いつも通りの辛口コメントです。


「上海で起業する日本人の80%以上が
3年以内に諦めて、帰ってくるって知ってるか?」




でも、その声は私の耳を素通りするだけで、
脳には到達できなかったようです。


勢いってやつです。
あるいは根拠のない自信があったようにも思います。

でもある意味、Kさんのコメントは当たっていました。





おぼろげながら、やりたいビジネスのイメージは
あったものの、具体的にどうすべきかなど、
全くのゼロからのスタートでした。


親会社もなく、資金的なバックもなく、顧客もない
状態からのスタート。

よく考えると営業経験もゼロでした。


しかもここは商習慣も言葉も違う異国の地です。


あるのは将来への夢、それから人生史上最高に
高まっている志気のみです。


見切り発車ってやつです。
いま考えると無謀としか言えません(汗)





とりあえず、会社設立のための準備、手続をしながら
あれこれ考える毎日が続きました。




そんな時です。

会社員の時からお世話になっていた、
あるパートナーさんより、上海の現地法人の
技術者を教育して欲しいという連絡を頂いたのです。


興奮しました。

人生初の受注ですから・・・


しかもそれほど親しい関係ではない方からの
依頼です。これがご縁というものでしょうか。

縁というのは、いつどこでどう繋がるか
予測ができない不思議なものです。



選り好みしている場合じゃありません。

とにかく、まずは人材育成ビジネスから始めることで
即決しました。




自分自身の過去の経験を生かし、上海の日系企業の
中国人スタッフ、主としてリーダークラスの人材を
教育するビジネスです。


私自身が講師になって、カリキュラムを作り、
企業研修を行なう形です。


いま考えると幼稚なカリキュラムですが
当時は必死に考えたものです。


その後、この実績を生かし、
営業経験ゼロですが、とにかく素人ながらも
販促資料を作って、上海の昔からの知り合いの
総経理(社長)にコンタクトしまくり、
ローラー作戦で営業して回りました。


幸運にも当時のニーズにたまたま合致したらしく、
まずまず順調に受注できました。


いま考えると、かなりラッキーでした。
ビギナーズラックとでもいいましょうか。

こんなこと、普通はあり得ないですから。。。




その後、目前の仕事に追われ、他のことを考えている
暇もない毎日が続きました。




しかし、その後、半年ほど経ったある日、ふっと思ったのです。


「このまま突き進んで良いのだろうか?」

「これって、本当にやりたかったビジネスだろうか?」

「過去の人脈だけでは、いずれ新規顧客開拓に限界がくる
のではないだろうか?」


受注はまずまず順調なのに、いつも何か違和感を感じていました。




ある日、昔から個人的にお世話になっている先輩
(経験豊富な、ある会社の社長さん)が上海に出張で来られ、
飲みに行く機会がありました。

新米社長の私に何かとアドバイスやヒントをくれるHさんです。


Hさんのコメント

「社長は自分で仕事しちゃ駄目でしょ?そこで会社の
成長が止まるよ」

「これからは日本企業と中国企業をマッチングするような
ことって、かなり価値が上がってくるだろうね」

「重要なことは営業、どうやって新規顧客開拓していくか、
仕事が取れなきゃ、会社は何も始まらないよ」

などなど。


新米社長の私には、ひとつひとつの言葉が
腹の奥底にどっしりと重く響いてくる、
そんな感触をいまも覚えています。


私は、この重大なヒントで
すぐに方針転換しました。


人材育成の新規営業は中止しました。

やはり当初からやりたいと思っていたビジネス

(但し、当時は誰もやっていないことで、どんな
ビジネスモデルにして収益に繋げるか、
具体化できるか迷っていたビジネス)

の具体化について検討開始しました。


さらに肝となる新規顧客開拓を具体的にどのような
方法で実行するか?

寝ても覚めても、あれこれ考え始めました。




ちなみにこの頃の私はネットビジネスとは
全くの無縁です。




次回、叩きつけられた現実に続く