この広い世界の中で、自分の存在は何の意味があるんでしょう。


・・・なんて真面目な、そしてある意味すごく不真面目で不謹慎なこと、よく考えてしまう。


哲学書や人生論云々の類なんてこれまでほとんど読んだことがない(笑)。



サンデー三日坊主-夕暮れ前



人の作った話、人が一生懸命考え抜いた結論というのは、所詮はその人のもの。


そもそもこの手の抽象的すぎる話は、聞いていると日常生活にあてはめる気力すら萎えてしまう。


ある種の贅沢病ともいえるこの難題に、みなさんどう立ち向かっているのか。


自分を囲む人々、家族、恋人、友人、仕事仲間、etc......全部かき集めても、本当に近い人なんてせいぜい100人にも満たない(勿論、人によるけど)。


仮にその人達がこの世から全ていなくなったとしたら、どうなるだろう。


少なからず、「自分」というものは「他人から見た自分」というものがある一定の部分を占めている。


これまで築き上げてきた他人との関係のなかでこそ、自分というものを確立している、という人も多いだろう。社交的な人ならなおさら。だからその確認作業に膨大な時間を要する。いい意味でも悪い意味でも。


じゃあ、今のこの瞬間、世の中で自分のことを認知する人間が1人もいない世界にぽとりと落とされたら、どうなりますか?


これまで他人との比較の中、他人から必要とされ、評価され、愛され、そういう中で「自分のカタチ」を確認してきたのなら、それはもう絶体絶命のピンチな状態なわけで。。。


慌てて色々動き回って、また小さなコミュニティーから作り始めますか?もともと自分が囲まれていたのとおんなじような世界をもう一度作って一刻も早く安心したいですか?


でも、その時こそ雑音(と言ったら失礼だけど)を一切取っ払った裸の自分を見つめる瞬間なんだろうな、と思う。


人に必要とされる前に、『そもそも自分が自分を必要としているのか?』 そういう滅多に、もしかしたら永久に考えることもなさそうな壮大なテーマが目の前に現れる。


誰もあなたのことを知らない。そんな状況の中、半ば呼吸困難のような状態に陥りながら、典型的現代人は右往左往するのだろうか。





でも、これはもう答える必要のないくらい愚問なのかもしれない。


だって、これを否定してしまうと、突き詰めると結局全部いらなくなってしまうから。


これは笑ってしまうくらい単純な話なんだと思う。


必要がないなら、そもそもいまここに存在しているわけがないということ。


但しこの「必要」という言葉がなかなかの曲者で、「君が必要だよ・・・」という俗世間的な意味ではなく、ね。


勿論人には定められた寿命があるわけで、人によってその長さは違う。じゃあ寿命の長い人はより存在価値が高いのかというと、そういうことでもないのだろう。



亀の方がずっと長生きだし(笑)。



と、いうことで自分に存在価値があるかどうかはなかなかスッキリとは言葉にできない。


でも、


存在価値がない、ということを証明する方がそれよりもはるかに難しいよね。


・・・なんて考えてるとそのうちお腹がすくわけで、眠くもなるし、トイレにも行きたくなる。


というわけです。