結局何日日本にいたんだっけ。。。というくらい短い滞在だった。
1月3日夜7時のフライトに乗り、若干の遅れ、混雑するImmigrationのせいで、シンガポールの自宅に着いたのが深夜の3時過ぎ。。
自分でスケジュール組んどいてアレだけど、、しんどい。。
でも実家の家族が喜んでたからまあいっか。
何日か前におばあちゃんの作ったお餅と、磯辺巻きの話を書いた。
自分としてはノスタルジーにどっぷりつかりながら書いていたんだけど、いざ実家に帰ってみると、笑うくらいあっけなく、そしてサラッとそのお餅が登場した(笑)。
たとえば「麦茶飲む?」と言われる様な、、そんな感じ。
前回行ったのは夏、その前はこれまた中途半端な時期に弾丸ツアーで帰省したので、実に、、何年ぶりだろ。。お餅。
そこではまるでお客様のように歓待された。
お正月ということもあったのかもしれないけど、寿司やら肉やら出るわ出るわ。。。
もうお客様なんだ俺。。。(笑)
地元は海産物が安くて旨い。車でちょっと行けば、やまほど手に入る。
水槽からザバーっと網ですくい上げられたサザエを見て、これからどれだけの人の手をくぐりぬけて、東京の料亭のあのアリガタイ値段になるんだろう、って。どうでもいいかそんなこと。。
朝、昼、夜、ときちっとした時間にきちっと食事をしたのも久しぶり。
これまでどんだけぐちゃぐちゃな生活になってたんだよ。。。自覚はしてたけど。
ゆっくりゆっくり、朝、昼、夜。 忘れてた、こういうの。
今の生活はとにかく外へ外へ。
人付き合いも外へ外へ。
他の人を見ててもそう。
みなさん暇を見つけてはオサカンに外へ外へ。
今日はこの人、明日はあの人、あさっては。。。みんな知り合いが山ほどいて毎日忙しそう(笑)。
何割程度かの親密さを共有した「知り合い」との確認作業に躍起になり、取っかえひっかえ来る日も来る日もあちこち忙しく走り回る。
ホントご苦労さんです。
でも、その先に得るものって一体なんだろう・・・。外向きに偏ったアタマというのは日々何かを失い続けてる気がする。
ふと顔を上げると、おばあちゃんが椅子にちょこんと座って自家製の味噌汁を食べている。
目が合うとにっこり笑った。
一時的にゆっくりと流れていた時計は、気がつくと現実のそれとはかなりの時差があった。
ここは時間が止まってるんじゃないかと思った。
止まってる、というのはちょっと違うか。
自分がいてもいなくても、そこでは淡々と同じサイクルが繰り返され、時期がくれば餅をつき、時期がくれば庭に水を打つんだなぁ。
自分のいなくなった場所で、自分がいた頃と同じように季節の時計が当時のスピードと寸分の狂いなく同じように流れている。
それを目の当たりにするのは、なんだろ、、ちょっと安心するような、それでいて、そこには戻れないことを若干の切なさとともに感じてしまう。
やばい、と思った。
ずっと前、「幸せとは永遠に続く平凡への憧れ」だなんてエラそうなことを書いた。なんだ、初めからちゃんとわかってたんじゃん俺。
でも、やばい、と思った。
この考え方は今の自分にはとても危険。
そして、そんなことを悶々と考えてるうちに日本を離れる日がやってきて、新幹線の車窓はのどかな景色をあっというまに後ろに吹き飛ばしていく。
やがて高層ビルがちらほら見え始める頃には、たくさんの記憶が入った箱にしっかりと鍵を閉める。途中で間違って開いてしまわないように。
半ば強引に体中のスイッチをパチパチと切り替えた。
立ち止まると迷う。危険だ(笑)。
飛行機の搭乗アナウンスが流れると少し安心した。
これに乗ればもう勝手に連れて行ってくれる・・・。