不安というもの。
どこからともなく襲ってくるもの。
原因のはっきりした不安、ただなんとなく漠然と感じる不安。
人間はなぜ不安を感じるのでしょう。
汗をかくのは体温を調節するため、痛みを感じるのは危険を知らせるため、
アタマで感じるいろいろなこともそう、喜怒哀楽、etc...。
意味がないものなんて何ひとつない。
・・・のはず。
じゃあ、不安感とはいったい何のためにあるのでしょう。
ひとつだけ言えるのは、不安とは、現在(数分後、数時間後、数日後)あるいは将来に対してのみ湧き起る感情であり、
昨日のことや、1年前のことを不安に思う人はいない、ということ。
人生には無限の選択肢があります。
自動販売機でどのボタンを押すか、今晩何を食べるか、この道を右へ行くか左へ行くか、etc...。
だけど、それが引き起こす結果までは選択することができない。
つまり、不安=不確実性への恐れ、とでも言うべきか。
いや、それだけじゃない。
そこには直感的な確率論が考慮されていると考えるべきである。
ハッキリと何パーセントかまでは言えないものの、その「おおよその確からしさ」が予想できるか否か。
たとえば、小学1年生と腕相撲をするとき、負けるかもしれないと不安に感じる大人はいない。
真面目に計算すると、恐らく厳密には100%ではない(99.999....% ?? 笑)。でもおおよそ確からしい勝ち目があるから不安感に襲われることはない。
これが99.999...%ではないとき、人間は不安を感じる。
たとえ90%くらいだと直感的に思えたとして、残りの10%をどう捉えるかによって不安の大きさは変わってくる。
とはいえ、いつかはその「結論が出る瞬間」を境に、不安は確定に変わり、そして消滅する。
不安とは、不確定性の高い事象に対し、その結論が出るまでのあいだに時限的に湧き起る感情だと定義できるだろう。
はじめの疑問に戻ってしまうが、定義はともかくとして、それではなぜ人間は不安を感じるのだろうか。
極言すれば、時間が経って「その時」が来れば勝手に消えてなくなってしまうような感情を、なぜわざわざ前もって持たなければいけないのか?
1つの個人的結論としては、
不安感に襲われている時期とは、いわばモラトリアム。
「結論が出る瞬間」までの期間、他にまだできることはないか?やり残したことはないか?と自分を省みるため、何か思うところがあるならば、今のうちにやれることをやりなさい、ベストを尽くしておきなさい、という猶予期間。
フルスイングしたバッターが、三振しても晴れ晴れとした表情を浮かべるのは、本人の中でベストを尽くしたから。
「結論が出る瞬間」まで不安をかかえなければいけない、とは必ずしも言えない。
なぜなら、ベストを尽くした人間は、いかなる結果がでようともそこに悔いはないから。
不安を抱えない唯一の方法、それは全力を尽くすこと。
他の人間からどう思われようが関係ない。
自分の中で自分なりにベストを尽くしたという自負があれば、いかなる結果も受け入れられる。
外的要因、自分ではどうしようもないことで、納得のいかない結果がでることもしばしばある。
そんなときまず問うべきは、自分はベストを尽くしたのかどうか、ということ。
不安感に悩まされる時間があるならば、その時間をさらなる全力投球に充てるほうが、精神衛生上、個人的な納得感の為にもいいのではないか。
それ相応の見返りがないとたちまち落胆する、頑張る気力が起きない、のではなく、もっと広い視野で
『人事を尽くして天命を待つ』
この言葉に尽きるのではないでしょうか。