「幸福論」


何かが足りない。毎日そう思う。特に不幸なわけではないが、特別幸せとも思えない。

幸せとはつまり、不幸ではない状態のことを言うのだろうか。


生死を彷徨った人が生還してよく言う台詞が、「生きているだけで幸せ」。

不幸からの回復、

その時に人は幸せを感じる。

また、不幸へと落ちていく時にも、人間はこれまで自分がいかに幸せであったかを悟る。


それはそれで正しい。


しかし、それは数ある幸せの中のある1つの極端な例でしかない。


人は幸せを求め、ある時は人間に、またある時は物や仕事、趣味へと傾倒していく。


長い人生の中で求める幸せは形を変化させ、ある種妥協とも思える点にたどり着く。

それが死だ。人間は生まれたその瞬間から死に向かって歩き出す。

心臓が停止するその瞬間、人は自分の人生に審判を下す。

それまでの紆余曲折を跳ね返すような、最後の一打である。

何かが足りない。自分の場合、もし本当に何か足りないとすれば、それは「死生観」だ。

どういう風に生きてどういう風に死ぬか、それは人生の設計図。

目標というよりは、どちらかというと客観的に自分を見たときのその人の物語。


喜劇、悲劇、様々あるだろうが、自分の物語は果たしてどうだろうか。


最後の瞬間に思い出す人生の回想に、自分は感動を覚えるのだろうか…。