本日は午後から信濃町から銀座、六本木、青山とグルグル回ったなぁ、六本木の居酒屋でブロンソンさんからゆうばり映画祭の話を聞きながら呑んだ、10年前に撮った私の作品に出てた子役が某セクシーな大人な女優になってたと発覚。10年一昔。
危険な話をした後に夜の街中を彷徨い歩くと、街中は灯が消え人がいないゴーストタウンでびっくりした、しかし月明りの中をブロンソンさんと散策した街は非常にファンタジックだった。月明りに照らし出されたビル群は巨大な墓石のようでもあった。しかし人が作りあげた情熱や夢の結晶が巨大なモニュメントとしてこの世に人が生きた証として建立されたようにも見えて、何十万年後かの地球の知的生命が失われた文明を残した人類の遺産でも見てるかのようでもあり、シルエットと化した街はファンタジックであった…
原宿に出たが原宿も11時過ぎでかなりのゴーストタウン…みんな家で自粛ムードなのか…外出すると被爆する危険性があるから外出しないのか?さっき銀座でご馳走になった韓国の音楽プロデューサーが原発事故で国外退避する外国人に原発の勉強をしてから行動しろってキレてたよ。日本のマスコミが曖昧なのがいけないとも言ってた。まあその通りだな。ハワイに逃げて対岸の火事状態で日本は好きな国だから頑張ってーなんていってる元関取はただのデブに成下がり、西へ逃げる者、海外に逃げる者、彼等は大丈夫だなとわかったら戻ってくるんでしょう。まだ何も確たるやばい状況でもなさそうなのに海外の反応やデマに左右されたのか、さっさと西へ国外へ逃げた人達はどの面さげて戻るのかと思ってしまう、軽佻浮薄なのがコモンセンスなら仕方ないのかもしれないが、さっさと育った故郷も家族も友人も残して生き延びようとする行為は高潔ですかね?
日本人の美徳とは何だったのか…
今回の日本人が国外へ避難したというケースで個人主義というのが浅ましく見苦しいと思った。自分だけ助かればいい、基本的人権、生存権をかざして自己管理、自衛を大義名文に逃亡する人達は何か恥ずかしいものを露呈してしまったように感じる。そういう人達はいざとなったらそういう行動に出る人間です、と周りにはからずも知らせてしまっただけ。対岸の火事を見て、火を消してる人に頑張ってといい、火が消えたらのうのうと戻ってくる…それでもいいが、誰よりも早くさっさと持ち場を離れて逃げていったことを少しは恥ずかしいと思う気持ちを持ってほしいと感じてしまう。安全なところから環境評論するのは簡単で、こういう事態だからこそ苦難と、そして何より自己と向き合うことが大事だろう。たいへんな時こそ自分がどんな人間なのかわかる契機である。災害や人災が引き起こすような悲劇的な状況の中ではへ理屈や嘘は通用しない、厳然と結果が叩きつけられてくる。その時に逃げるのか対峙するのかが人間の高潔さの分かれ道だろう。今の時点でさっさと逃げ出した人達は疑心暗鬼になって怖がるのは止めて、自分だけが安全であれば幸福であればいいという精神を改善
してもらいたい。
極端な話—保身を貫き、願い通り生き残ったのはいいが、もしみんなが死んでしまって一人だけ生き残った世界では何を感じるのか?幸福とは自分だけが幸福では幸福ではないといつか気付くかもしれない。
人命救助が多々行われるている事態がある度に、一人の命を救う者が世界を救うという言葉を信じたくなる。
