ソーシャルネットワークを見てダラダラと散文 | 遠藤一平のブログ

遠藤一平のブログ

率直に思ったことを適当に綴ってます。極私的散文

題材は大嫌いだが、映画の作りはなかなか素晴らしい。人権侵害にならないように無難に作ってるが皮肉ってる暗喩表現が巧みでいい、かつてファイトクラブで物質文明を否定していたフィンチャーが単に世界最年少の億万長者を事実のまま描いたなんてことはあろうはずがない。最近のアメリカ映画に関心するのは戦争、経済、犯罪のアンタッチャブルな内容を選び、作り手の主張(主観)を濃く入れず、ありのまま描いて見せていく手法はハーバード大学の正義について話そうのマイケル・サンデル教授の授業のような、答えを教えるのではなく、考えさせる、やり方に似て巧み(しかし考える力が今の若者にあるのか疑問…)、ソーシャルネットワークは資本主義、自由競争が生み出すモンスターを鮮度を保ちつつうまく描いている。
人の上に立つべき資質を持たない人間が人の上に立ててしまうのは金の力以外ない。金というポイントをゲットする方法を見出したゲーマー達が倫理感も仁義も忠義もなく法律にひっかからなければ自由に何をしてもよいという発想のもとバッコできる社会がある意味病的、そんな病的な社会は「ウォール街」でオリバー・ストーンが20年前に描いているが、億万長者になる過程では裏切りと犯罪はつきものだと説いている。人間は習性として他者からエネルギーを奪いたい生き物である、金というものはそのエネルギーを具現化したもので、実際に奪い合える媒体である。
好奇心や趣味や夢から始まった純粋なものでも金が関わると、途端に争いを生むのが世の常だ。私もそれは多少経験したので非常に生理的に金の匂いが嫌いである。金は現代社会に生きるには必要なものだが、手段と目的がひっくり返ってしまう生き方はしたくない。
金というのはどこまでいっても使い方が良ければ幸福をもたらし、悪ければ不幸をもたらす現代のアークやパンドラの箱みたいなものだろう。欲望に忠実な人類はやはりまだ進化していない。強欲が美徳だとしてしまうと力が支配する世界が再び全人類を襲い、正義は生まれて来ない。
ソーシャルネットワークで描かれる強欲とは金でなく、金で釣る女の子達とも見てとれる、学生が主人公だからこそ根源的な金持ちになりたい理由がストレートに描かれているように見える。
終わり方も別れた彼女のフェイスブックの画面を見ながら…そして、史上最年少の億万長者と文字がインポーズされる。才能以上に保持する金のおかげで大きく見えている人間もやはり一人の人間。命がけで革命を起したり人を救うという英雄ではない現代型の英雄が今もたくさん生まれている…