グリーンゾーンを見てダラダラと思ったこと | 遠藤一平のブログ

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率直に思ったことを適当に綴ってます。極私的散文

佳作だと思わないが、アメリカ映画のいいところが貫かれていてよかった最近のアメリカ映画のイラクものは冷戦時代のプロパガンダ映画と違ってやはり反戦寄りで政治家を疑っている、市民の怒りを感じる。「グリーンゾーン」は最後まで言葉では言わなくても石油採掘をしている煙突が見えていたり微妙に暗喩表現でうったえていたりして戦争アクション映画でもまあまあそれなりに知性を感じてしまう。

権力に屈さない人間、たった一人でも真実(と自由)を求めて闘う人間、律してる人間、昔からアメリカ映画にあるヒーロー像だが、やはり惹かれる。武士道があった時代は日本人にも高潔さがあったが今の日本は周りが右なら右、左なら左、誰かが犠牲を払ってもそれには目をつぶれ、という保身からくる不文律が支配している(誰もが利益を求めて集う会社組織なんてその最たる糞溜めといっても過言でないだろう…)
正しいと思われる道はいつも茨の道であると知ってるが故に楽なリスクのない道を臭いものに蓋をして素通りし、都合が悪いものは闇に葬るということだけを常に繰り返しているように思う、これは自由競争の点数を稼ぐことが美徳とされる資本主義の世界ではある意味当たり前に繰り返されてるであろうことで、映画に出てくるような勇敢で高潔な人間は実際にはアメリカにも少ないだろう。しかし、映画で理想的な人間(目指すべき人間)としてそういう人間を描くことを常套手段としているアメリカ映画は健康的だと思う、ドグマは嫌いだが何気に馬鹿にできない。
日本はまず題材的に自由と真実を求めて権力や悪と闘うような構造になる映画がない、日常の人間模様や私的な感情の揺れ動きによる恋愛か殺人かを描いたようなものが一番しっくりくるような気運が強くあり、政治的なものや国が抱える根本的な問題や暗部はあまり描こうとしない、ある意味幸せな国だが日本に住む我々が傀儡になっていないか留意しなければならない、そろそろ責任転嫁の歴史に終止符を打つ時がきている筈だ。日本的な立場から、日本人の道徳観から何かを語らなければならない。エンターテイメントの形を借りてもそれを貫かなければ表現として売り物として広く公開していくものとして稚拙なものになってしまうだろう、政治同様に邦画が一部抜かして骨抜きなってるのは脚本家のプロデューサーの監督のあらゆることに対しての問題意識の低さ、こだわりの無さだろう。

よくあるありふれた戦争映画の部類であると思われる「グリーンゾーン」ですらアメリカ映画は人間が熱くなれる要素として人間が守るべき道徳と信念を貫き一人でも闘うという精神が描かれているので、映像にはリアリティはあるが予定調和で単調な作品であっても個人的にはミソクソに批判できない作りになっている。こういった感じの作品がまだまだ多いということにアメリカ映画、アメリカ映画の制作者の意識の高さに徹底的に邦画と違うと思ってしまう。
常套手段であっても道徳を踏まえた上で構成されたストーリーはやはり魅力がある。一部の人間の利益の為に間違った道を歩む既成の権威に立ち向かう人間の姿も常套手段であっても、描き方がそれなりに骨太であればやはり映画を見た気がする。
今はある意味映画がゲーム化漫画化し短絡化してしまい、それが当たり前だと思っている世代が増えているかと思うと、その不健康さと時代による価値観の変動というもっともらしい言い分に食い潰された、いいものを知らない、知ろうとしない、楽な方へ楽な方へ感性までが鈍感していくと、もう文化は希薄になり、日本人からまた一つそしてまた一つと感性が失われていく気がする。

映画を見てもテレビを見ても漫画を見ても、考えさせられるものはほとんどなく、短絡的なゲーム化したもの、予定調和すぎるもの(ヒットしたものをトレースしたもの)が激増し、あらゆるものが視覚的に過激化しただけで、わびさびは一切ないという現象がいたるところで起きている…そういう文化ではAVやホラーやキワモノは当然の如く発達する、昔なら有り得ないようなアイドル級のかわいい女の子がしかも巨乳がやたらと増えて、更にはアイドルだった子女優だった子がドラマや映画の中で脱ぐとは違うただセックスだけしまくる映像に出演してしまう…もうこうなると男子の想像力の欠如は著しく加速する、夢も理想もリアリティに潰されていく…
ホラーもとっくにマンネリ化してきてどうしょもないことになっているが、漫画ではやたらとスプラッター描写が過激化し、ネタが無くなると次から次へと殺戮を繰り返しいかにグロテスクに見せるかの競争になってくる…
兎にも角にもぼうっと眺めていれば自動的に目に入ってくるような目立てばいいというだけのある意味小学生でもわかるような短絡化した文化がメインカルチャーをバッコしだすとこれが虚無を引き起こす引き金になっていく予感がする、どんな形でもその時代の文化は常に作られていくが人間が利便性を重んじ小さなレベルの快楽をよりたくさん得ようとするが故に怠惰になり、研ぎ澄まされてきた筈の感性は失われ、またゼロに戻るみたいな、拡大と収縮を繰り返すようなメカニズムがどうやら人間にはあるように感じるが、先代が灯してきた火を絶すようなことはしたくない。無味乾燥な世界に浸って生きていく人生が豊かであるとは思えないので、偶像、ヒーロー(人間)はこうあるべきだと描く映画にはどんなものでも今はそれなりに感じるものがある。
忠義だ仁義だという言葉同様に死語になりつつある高潔さは必要だな…