ちょっとモヤモヤした朝帰りの雑感 | 遠藤一平のブログ

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率直に思ったことを適当に綴ってます。極私的散文

本日精鋭スタッフのお二人とGIジョーを徹夜で見た…
CGスタッフと見てもスタッフがもうCGてんこ盛りにうんざり、そして話が短絡すぎ、と漏らすくらいハスブロが自社の玩具を売る為に作られた日本の特撮ものと同じコンセプトの映画。普通に酷い作品。
手段と目的がひっくり返ってしまっていたりするのをこうもたくさんいたるところで目の当たりにしていると、資本主義とはお金が回る為に都合のよいことをやってしまうので本末転倒な体制なのだと、何も育まない不毛さを感じてしまった。
まぁ、GIジョーは玩具を売る為に出る役者もそれを作るスタッフも可哀相だなと、感じる映画だった。資本主義にひれ伏すならそういう魂を売る行為を平気でやれないとだな…と感じてしまう、挑戦的なアニメだったエヴァンゲリオンですら今や強引に新キャラクターを導入し、商品を売る為の細工が見え隠れする単にオタクを狙った駄作に成り下がってるし、
資本主義下ではもう芸術みたいな育まないと昇華しないものは死んでいくしかないのだろうと、メインカルチャーに絶望感を改めて覚えてしまった。

今朝知ったがー山城新伍まで亡くなってしまうとは…
今年は何でも有名人がやたらと亡くなるのか? 啓示か?有名人が死に報道されることで死のイメージが伝播するという目論みがあるように感じてしまう、浮かれていた時代は終わり、誰にも必ず来る未来である死を意識させることで、人間を律するような、戦争がない代わりに真剣にさせるような、目を覚ませるような、現実を見つめさせるような、見えない巨大な「意志」が介在しているようにする感じる。
人の死には意味を感じたくなるのは人の性かもしれないが(特に身内の死は)、誰かの死すら無関心になっていってしまうと現代人は生きてるうちに戒める回数はどれだけになるのだろう。システムに取り込まれてしまっている我々はちゃんと何かを考える契機を逸してしまうのではないかと思ってしまったりする、仕事があるかないか、食えるか食えないか、また今の現状をいかにうまく維持して更に稼げないか、なんて当たり前の人間の悩みであって、人生の何かについて考えることではない、食ってやって寝る程度の生き物として普通の行為についての悩みは悩みではなく考える行為でもない、筈。人間はそんな実生活に埋没した悩みを考えるのではなく、更に何か高次なことを考えられるのが、他の生き物と違う特権であったのではないか…そういう機能があったからこそ今日のテクノロジーの繁栄とあらゆる芸術が生み出されているのではないかと思う。
原則論は無視できないが便利すぎて「考える力」が失われているなら、世界中が不況になって不便になった方が、再び再生しようとする活力が人間から生まれてきてよいのではないかと思えたりする。
いっそのことマシンによって超合理化された社会より人間が寄り添って生きていかねばならない時代が再び到来することを願ってしまったりする。2012年の時間が止まるというマヤ歴の予言ではないが、何か衝撃に備えよーという啓示がいろんなところから発せられてきてる気がする。
みんなぼうっと実生活に埋没してんじゃなくてアンテナを張れ!と何かが訴えてる気がする。