好きな映画や映画監督は?、と聞かれるとたくさんありすぎてすぐに言えないものだが、すきな映画音楽や映画音楽の作曲家は?と聴かれると容易に思いつく、特に作曲家は絞り込める、
何だかんだ言ってやはり海外なら
ジョン・ウィリアムス
ジェームズ・ホーナー エンニオ・モリコーネ ハンス・ジマー
国内なら
坂本龍一
久石譲
菅野よう子
千住明
音楽は圧倒的に好きな作曲家が絞り込める、つまり佳作を作れる作曲家が少ないということだと思う、
映画や小説や舞台というものは時間芸術としては長いものなので、人間の思考がすぐにいいか悪いかジャッジできず、ある部分でいいところがあればそれが心に残り、いい作品だったと思うという要素は多分にあるだろう、しかし音楽は人が集中していられる時間内で一つの曲を聴かせなければならないことがほとんどなので、非常に大変な作業のものである。
作曲家に求められるのはまずは文才に似た音を使ってドラマを構成できるセンスだと思う、人間とは生きている以上、あらゆる経験をし、あらゆる心象風景、原風景を誰もが持っている、人に視覚がある以上、ある情景を常に連想し、何かを感じるのに大きな手助けをしている、やはり視覚が一番先に先行してくるのだと思う、聴覚や嗅覚や味覚はその次だと思う、つまり、音楽であっても人に感銘を与える作品は必ずと言っていいほどあるイメージ(風景)が連想されてくるものである、何の風景も想起させない音楽ははっきり言って駄作が多い、特殊言語とも言われるものの一つである音楽で拙いと感じるものは文章で言う表現が拙いものに酷似している気がする、映画も舞台もそれは同じだが、音楽のように短時間で人に感銘を与えないとならない媒体は非常に難しく、イントロから語り方がうまくないとその後まで持たない。映像、音楽の特殊言語というものは勉強してどうにかなるものではないような気がする、感覚的でとにかく気持ちいいことをよく知らないとならないと思うし、また経験や知識もたくさんないといい映像や音楽はとにかく作れない気がする、音楽に関して言うならば、
音に敏感でとにかく自然界の音を知っていて、身体の中の音を聴ける才能、これがないと理論からだけは音楽は作れない気がする、楽譜が読めない天才音楽家はたくさんいるから感覚的なものであるのは自明の理だろう。
とにかく音のストックが無数にないと、現代の音楽のニーズ、特に映画のサントラなどは手掛けるのは難しいことだと思う、最近よく気付くのは音楽はとにかく作曲家の風格を如実に反映するということ、強い、弱い、当たり障りのない、深い、浅い、骨太、繊細、ととにかく当人のキャラがまんま音楽には反映してくる、短い時間芸術であるが故に非常にわかりやすいくらい本人の性格が額面通りに作品に反映するのが音楽。
音は声であり本人の声でもあるのではないか、本人が人に語れない人間であれば紡ぎ出す声である音はやはり人に対して説得力がない、そんな感じがしてならない。かといって作り手が語る方にエネルギーがいってもダメ、高次な何かと繋り、その一瞬のインスピレーションを逃さずすぐに音にしていく、この作業を連続してできないと人に語りかける声は作り出せない気がする、人が求める声とは、誰もが喋る時に聞える日時の声ではない、やはり高次の人間の存在を超越したような壮大な声である筈、それを自分を通して世界に語りかけていく作業をするのが音楽家。非常に神の言葉を人々に伝えるシャーマンみたいな存在だと思う。
聴いたことがあるようなすでに使い古された人間の言語になってしまったかつての神の声を使い回していては誰にも感銘を与えない。
巷に転がる神の声もよく拾い集め、たくさん聴き、研ぎ澄ますことが大事なのが音楽家。一つの音しか追求しない場合でも何かと繋がらなければ、ただの好事家で終わってしまうのが音楽家。
言葉になる前の現象に近い映像よりも遥かに誤魔化しがきかない特殊言語が音楽。
難しいが超越した次元に触れることができる非常に素晴らしすぎる媒体。生まれ変わったら音楽家になりたい。