遅ればせながら「天使と悪魔」を見た、なかなか面白かった、やはりハンス・ジマーのサントラはいちいち盛り上げる。多少退屈な画面でも見せてしまう、ああいう音楽家と映画作れたらそりゃ面白いだろう、
前回もそうだったがロン・ハワードは意図的にアクションやCGを派手にしていない様子が伺える、そのアプローチはいい、しかし今回はCG意外と下手だったなぁ、カメラが入れない教会内なんかもろにCGだったもんなぁ、ミニチュアとの使い分けをうまくやる必要がありますな。あと今回も題材がかなり好み、スイスのケルンのLHC(大型加速機)による地上に小ブラックホールを誕生させる実験は以前から注目し、密かに脚本も書いた…素粒子、反物質やダークマターと聞くだけでムズムズする、そこに量子力学、形而上学とくると大学生の頃の情熱が蘇る。
「天使と悪魔」では素粒子をニューパワー的な存在として描いていたが、ガリレオの時代に未知のエレメントが存在することに気付いたという点はあんまり描かれていなくて残念、あと「ダヴィンチコード」のような推理してゆく過程をCGを巧みに使って描く感覚的なシーンがなくて残念だった、人間の感覚的なものを映像化するから映像は面白いのに今回は普通にサスペンスとちょっとアクションだった、しかしアクションも予定調和だと面白くないなぁ、キリスト教はなんでまたドロドロしてんのかとまた思ってしまった、歴史的に血塗られているから仕方ないのだろうが、人が助けを乞う宗教が信仰が殺意を人に抱かせるんだったら、やはり悪魔もそんな宗教や信仰が人を煽って作り出してる偶像だろうと思えてくる。何か悪いことを何かのせいにしたくて悪魔という偶像を神の敵として据えたのだろう。全部人間の弱さそのものが宗教の背景には見え隠れする、
その点、仏教というのは不思議なくらいインナースペースに早くに目覚めていて、宇宙との繋りすらあるような深いものがある、仏教徒になりたいとは思わないが仏教の方がやはり人間に対しては優れていると思う。戦争しかけないし…
キリスト教はドラマティックで壮大で聖書がある意味叙事詩だからドラマにしやすいよなぁ…
誰もがほんとうに完全投入、無条件、犠牲的な愛を会う人会う人に捧げてたらそりゃいい世の中になっただろうし、戦争をするのが難しい世であったろう。所詮強制された教えは人間は守れないということを何でキリスト教は悟れなかったのだろう、ローマ時代に人々を統治する為の政治に利用されてから狂ったのか、ジーザスの意志とは反してキリスト教圏の民は何やってんだ?科学信仰にうつつをぬかし新種のウィルス作ってしまったり、他民族殺そうとしてみたり、無様だな。すぐにジーザス!と言う癖にジーザスは草葉の陰で泣いてるよ。汝殺すなかれ、なのに「天使と悪魔」でもまたキリスト教の司祭が殺しやるんだからやはりキリスト教ってキリスト教圏の人間からも信頼されてないんだね。
どんなことにも愛で返して見せろ!右の頬を殴られたら左の頬を差し出せという教えが守られてるなら馬鹿ブッシュみたいな合理主義で損得勘定ばかりで利権争いが好きな戦争犯罪人が大統領にはならないだろう。あいつはクルセーダーらしい…神のもとに召されることがこの人達にとっては幸せなことだと弱った病人たちを次々に楽にしてやった十字軍、そりゃただの大量虐殺だろ…それで現代、大量破壊兵器はあったのか?現代のローマ帝国アメリカにまたキリスト教は利用されたらしい… 見事にどんどん血塗られていく、どこで汚名返上するのか?お前らが悪魔になってどするだよ!ほんとうのキリスト教を感じさせやがれい!
「ダ・ヴィンチコード」ではカリスマであった人間キリストを描くことで、今のキリスト教の在り方を問うたのだろうし、「天使と悪魔」ではカール・セーガンの「コンタクト」みたいに科学が神の領域に入り込んで来た時に宗教はどうするのか、みたいなテーマと人間が完璧ではないように宗教も完璧ではないというテーマが二つある作品だった。
まあ僕は昔から神に対しては答えは一つで、みんなで崇める神はいらず、個人が個人と向き合う為の神は必要だと思っている、イマジネーションも含め、この世に存在するということは生んだ何かもいるということを含め、人間がいる以上神もいるということだ。