香山某なる精神科医が、一度も会っていない橋下市長を診断した、しないで大騒ぎになっているようですね。
http://www.rbbtoday.com/article/2012/01/23/85388.html

ホントどうでもいいお話ですが、彼女の発言が少し気になりました―「私は精神科医として〈橋下的なもの〉の象徴としての橋下さんや彼を熱狂的に支持する人たちを分析し、その発言や行動に社会病理性を感じ、歴史との比較なども行いながら、警鐘を発したいと考えている」

奇遇ですね!私も、香山的なものの発言や行動に社会病理性を感じていたところでした。

香山的なもの―それは、自分が取り扱う専門分野において、誰の目にも明らかな光景が見えないということです。能力的に見ることができないのか、見ようとしないのか、あるいは認知が歪んでいるのかわかりません。とにかくこの人たちには明らかなものが見えないのです。

これは、目の前で炎が噴きあがる火災現場を前にして、消防士が「異常なし!」と判断するくらいの致命的なお話です。プロとしての必要な、あるがままに見るという能力が欠陥しているのです。

香山的なもの その①:本家本元
http://www.lifehacker.jp/2011/11/111025tonarinovol14.html
日本の精神医療は、いい意味でも悪い意味でもムラがないと思っています。ものすごい名医もいないかわりに、悪徳な医者もいない。標準的な医療がいき届いている分野だと思います

香山的なもの その②:末期症状タイプ

「アクセス、コスト、アウトカムいずれをみても、日本の精神科医療は世界一だと思います。」

香山的なもの その③:一般普及タイプ
「副作用?そんなものあるはずがない」
「元々の病気が悪化しただけ」, etc.

精神科医を観察すれば、いくらでも「香山的なもの」を見つけることができるでしょう。

実際に精神医療現場で起きていることについて、目の前の患者に起きていることについて、なぜ彼らは見ることができないのでしょうか?

理由はシンプルです。もう彼らは現実に直面できていないのです。自分が引き起こしてしまった、犯罪的とも言える悲惨な結果に直面することができないのです。そして、もう後戻りできない自分の人生に直面できないのです。

そうです。彼らは認めてはいけないのです。認めたら終わりです。認めることで存在意義すら否定されてしまうように感じるのでしょう。自分は正しかったのだと暗示をかけないとやってられないのでしょう。

なぜ副作用を素直に認めることのできない精神科医が多いのか、なぜ副作用について尋ねたら激高する精神科医がいるのか、皆さん理解できなかったかもしれません。しかし、それは彼らの最後の抵抗なのです。見ないことで、知らなかったと思い込むことで、自分が過ちを犯していなかったと正当化する最後の手段なのです。

とんでもない犯罪者は、躊躇なく自分の悪事もさらけ出しますが、それに比べたら反応する人はまだ良心が残っているのかもしれません。

いずれにせよ、患者にとって、社会にとって迷惑な話でしかありません。これぞまさしく社会病理性ではないでしょうか?現実を正しく評価できない精神科医が、「専門家」「有識者」として政府に口出しし、その提言が鵜呑みにされた非現実的な政策が実行されているのです。

行政関係者や教師らは、「専門家の言うことだから・・・」と思考停止状態です。大衆の思考水準は「自分には関係ない」という傍観者レベルなので、いざ問題が起きても自分で考えることができません。こうして精神医療の被害が拡大されてきたのです。

解決策はシンプルです。そのような集団思考、集団の同意から抜け出すことです。見て見ぬふりをすることはお行儀が良いとするおかしな同意から抜け出しましょう。精神科医の犯罪行為を見かけたら声を上げましょう。それは勇気がいることかもしれません。心地よいものではないかもしれません。ぬるま湯に浸かっていた人生の方が良かったと後悔するかもしれません。しかし、どう考えてもこれしかないのです。

もしかしたら、あなた一人の声が、数千人、数万人の命を救うかもしれません。これは別に誇張でも何でもありません。年間百人単位で不当に患者を死に至らせている悪徳精神病院が閉鎖されたら、それだけで直接何百、何千もの命が救われます。事例が集まり、多剤大量処方が明確に禁止されたら、それだけで百万人単位の人生に影響を与えます。

声を上げて下さい。気付いた精神科医の犯罪・不正行為についてしかるべき機関に報告して下さい。わからなければ、私の方に匿名でもいいので相談して下さい。