生きてます。

このブログの存在自体は忘れてないんだけどね。

最近はmixiを巣に生きてるのでね。


ふむ…

1年前はまったりしてたね。

今は就職活動中、とりあえず。

1年前の自分の記事を読んでいると、色々呆れてくる。

だけど少し安心もする。1年前よりは成長も出来てるかなってね。


人生に、日々生きてる意味がないことはないと思うんだけど、たまにどうしても暗くなる。

なんだか此処にいていいのか、自分は愛されているか、自分は人を愛せているか。

沢山の人と関わっていく中で、あたしはちゃんと必要とされているのだろうか。


誰のために生きてるのかわからない時はきっと誰にでもある。

生きる意味を全く考えたことのない人間はいないだろう。

だけどやっぱり答えが出なくて、わからなくて、逃げたくなって。

それでもあたしはもう、自ら死を選ぶことは二度とないと誓いたい。


若い頃は色々とあった。

若かったのだ。とにかく。未知のものを沢山体験する時期だったのだ。

だから、今まで経験のなかった不測の事態が起きたり、誰かから突然傷つけられたり、

とにかく痛みに対して耐性がなかったあの頃は少しのことであたふたしていた。

今の自分に果たしてそれがあるだろうか、と問うと、きっともうない。

それが良いことなのか悪いことなのかはまた別の問題なのだけれど、

それだけ痛みに対して強くなれたならあたしは確実に成長していると思うのだ。

ほんの少しずつでも。マイペースでも。前を見て生きるのは悪くない。


そんな21歳。就職活動真っ最中。mixiやりまくりのあたしです。

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人間の罪は、愛によって、許されるよ。だから愛を持とうね。まっすぐな愛を。

ここはとても暗い…
疲れてるのにやけに目が覚めて眠れない。
携帯の光にしか縋りつけるものがない寂しさ。
不安で仕方がない。
心臓が激しく鳴って、呼吸がうまくできない。
こんなところはもう嫌だ。どこかアレがいない場所へ行きたい。
涙が止まらない。悲しいわけじゃないのに。

あぁ、これが恐怖か…

また逃げてもいいかな。

逃げるなんてダサいから好きじゃないけれど、

僕が僕を保つためなら、今すぐ逃げたいよ。

キヲヌクト…コワサレテシマウ…コノセカイヲ。

何を書こうかずっと考えていたらこんなに日にちが経ってしまった。

昨日、今年度(18年度ってこと) 最後の試験が終わった。

1年の単位を全て取得して、実技のテストに合格していれば進級。

大学3年になれば、あたしは本格的に20歳としての人生を歩み始める。


11月24日のあたしはすごくぼーっとしていた。

思ったよりもあっさりとその日を迎えた。

大人になることは何かの代償を払うこと、

何かと決別してけじめをつけること、我慢することだと小さい頃から思っていた。

だけど、その日はあたしにとってとてもあっけなく訪れたのだ。

その事実はあたしをガッカリさせ、安堵もさせた。


別の日記にも書いたのだが、あたしは成人式に出席をしなかった。

友人などからなぜ出席しなかったのか?と聞かれると

「翌日が帝国劇場に大好きな人を見に行く日だったからそれどころじゃなかった(笑)」と答えたが、

本当の理由はもちろんそんなところじゃなかった。もっと単純で、もっと深いところにある。

成人式に出席することが新成人の最初の義務だと思う人もいるかもしれない。

そういう人には悪いのだが、

あたしは自分がなにも成長していないのに成人式に行くのが面白いと思わなかったからだ。


小さなところでは変化をしていると思っている。

小学生や中学生だったアノ頃のあたしに比べれば、そりゃ当然色々と成長している。

だけど、根本的な人生の歩き方において、あたしは何も変わっていなかった。

夢をなにひとつ叶えていないのだから。


「大人になったら何になりたい?」


小さい頃によく聞かれた質問だ。

今思えば、この質問は大人が子供に夢を託したかったがためだけのにすぎない。

子供の希望に、大人があやかりたかっただけのような気がする。

とにかく、この「夢」とやらをあたしはなにひとつ叶えていない。

あたしは今も昔も学生だった。親に養ってもらっている。今も昔も変わらずに。

むしろ、今の方が学費のムダに高い大学に通わせてもらっている分、

親にかけさせている負担は大きい。

あたしはずっと学生だった。あたたかな家族によって毎日が保障された学生だった。

小さい頃から「大学生」という存在は知っていた。

小さい頃から「大学生」になろうとは思っていた。


ただ、小さい頃のあたしは気づかなかった。

大学生になったら、大人になった時も学生に変わりはないということを。


成人=大人だと思っている。


だから、夢を叶えて、自分の稼ぎで食べれるようになったら、

あたしは人に成る気がする。

だからまだ成人式なんて行けない。行ったって意味が無い。

昔の友人に会うために出席するなら逆にもったいない気がした。

あたしがダメだと思った。まだ行っちゃいけないと思った。


そんなに深く考えるのはバカげてるかもしれない。

あるんだから行けばいいのにって思うかもしれない。

それでもあたしはなんだか嫌だった。自分がミジメな気がした。

もう社会人として立派に働いている同級生もいるだろう。

親に養ってもらってのうのうと学生を続けてる自分は、なんだか劣ってる気がした。


世間一般では20歳は大人だ。成人だ。自覚を持て。

だけどあたしはまだ幼い。まだ未成年みたい。

足りない。足りない。何もかも。まだ欠陥だらけ。

もっと強くなる。もっと高く飛ぶ。そしたら胸をはって「人に成った」と言いたい。


いつか互いに 大きな花を 綺麗な花を 咲かすと決めた
変わらぬ空に君を映して 上手く飛べたら高く飛べたら
ツバサ広げて秋風越えて
夢を手にして 会えたなら共に笑おう
会えたなら共に笑おう


アンダーグラフのツバサの歌詞の本当の意味を知った。

大人について考えていたら、この曲がよぎった。


アンダーグラフ, 真戸原直人, 島田昌典
ツバサ

毎日沢山の人にささえられて生きてるのはわかってるのだ。

それは衣食住全て、誰かの手がなきゃ生きていけないってことも。


誰かが服を作ってくれなきゃ、服を全て自分で作ることは出来ない。

誰かが作物を作ってくれなきゃ、料理も出来ないし食べ物も作れない。

誰かが家を作ってくれなきゃ、家の全てを自分で作るなんて無理。


そして、誰かが優しさを与えてくれなければ、

平穏な毎日を笑顔でおくることなど、きっと出来ないだろうと思う。


そんな風に、誰かに毎日いつも支えられてることは百も千も承知。

わかってはいるのだ。

誰か特定は出来ないけれど、君がいなければあたしは生きることは出来ない。


だけどたまに、本当にたまになんだけれど、

それをウザイって思うときがある。


優しさだとか、愛だとか。

他人からや、身内から与えられる暖かい感情をウザイと思うときがある。


うるさいナァ。

ほっといてよ。

あたしのことなんかどうでもいいくせに。

本当は君だってあたしなんかいらないのに。

消えてよ。

死んでよ。

あたしにかまわないで。

どっか行って。


本当にたまになんだけれど、汚い感情があたしを支配する。


時間が経てば、その愛がなければ生きられないことに気づく。

平常心とはどんなものか、基準がわからないけれど。

心が穏やかになった時には、ちゃんと人の愛を嬉しく思える。ありがたいと、そう思える。


だから、言いたいのは。


あたしの本性はよくわからないと思うのだ。

その時、フラストレーションの塊だったときのあたしが、

実は本当のあたしなのかもしれない、とかたまに思うのだ。

気が立っている時ほど、人は本性を見せるのかもしれないし。


でも、それは自分が自分のコントロールを失ったからなのかもしれない。

あたしがあたしでなくなっていただけなのかもしれない。


本当の自分が身勝手な自分を抑えてるのか、

身勝手な本当の自分が、偽善者のあたしに抑えられているのか。

そんなことをに真剣に考えてしまった。


どちらにしても、あたしはあたしだから。


それを受け入れてくれる人と、友達になりたいと思う。




僕は君の愛を欲していないのかもしれない

本当は君だって僕のことをいらないと思ってるんじゃないの?

そんなキレイゴトを捨ててしまえば人間なんて自分がわからなくなるものなのかもしれない

人との繋がりなんて簡単に壊せるんだから

それを本当に失った時にしか 愛の重さなんてわからないかもしれない


あたしが好きなアーティストの歌詞にはこんなものがある。


「人を愛するということは 別れた時、失くした時に

          どれだけそこで”ありがとう”と 感じるかどうかだと思う」


そうだ、その通り。


だから、どれだけ君を愛してるか僕にはまだわからないけれど、

それでもそんな僕でも、君は愛してくれますか?

どれだけ僕を愛してるかなんて、わからなくてもいいから。

それでもやっぱり、君が必要なんだ。すごく我侭な話だけどね。


ジャンヌダルク, yasu
ダイヤモンドヴァージン(DVD付)

↑c/w 湖の歌詞にあります

なんだか…切ない気持ちになったニュースがあった。

10数年も不法入国していたインド人の家族の話。

日本に不法滞在していることがわかり、強制帰国を命じられたというもの。


子供達はビザが切れてから生まれた子供たちなのでインドは知らない土地。

知らない言葉に知らない人、知らない街。

ニュースは不安になる家族達の涙ながらの会見を報じていた。


なんだろう…

確かに不法滞在は良くないに決まっている。

そしてそんな状況にしてしまった家族の親も悪いと思う。

だけど子供達は、どうやら不法滞在のことを知らなかったようだ。

自分達のことを「日本人だと思ってた」と話していた。


転校を繰り返していたあたしに、別れの切ない気持ちはすごくわかる。

どこの学校へ行く時も「ここにいたい」と思った。

小さい子供達の中で「今の友達」の存在は大きいと思う。


しかし法を犯していることに違いは無い。


この場合「可哀相」という言葉はふさわしくないのかもしれない。

だけれど、この家族がインドに帰ってしまうのはとても悲しい気持ちになった。

お母さんが「家族と離れ離れになりたくない。一緒に暮らしたい」と泣いているのを見て、

家族の暖かさがある家庭なのだということがわかった。


それに比べて日本の家族ってどうだろう。

もちろん幸せな家庭だってたくさんあるけれど。

浮気やら不倫やら、そんな小さなことであっさりと離れる大人が多すぎるじゃないか。

人の家庭のことをごちゃごちゃ言うつもりは無いけれど。(というかそんな権利も無い)

だけど、この家族のような暖かい家庭は絶対に減っていると思う。


社会の最小単位は家族だ。

その家族が沢山崩壊している日本があの家族をインドに帰してしまうのか…。

なんだか矛盾している気もするし、無念だとも思う。

確かに法は犯しているのは良くない。どうしても。それは動かない。

だけど…と思う。法律は愛を考慮してくれないのか、と。

子供達はまず言語にも困るだろうが、食にも困ると思う。

そしてインドは飢餓で苦しむ人が多すぎる。

その事実をあの子供達が目にしたら恐怖に沈むのではないだろうか…

こういうことを書くと、やはり現在インドに住んでいる人には失礼かもしれないけれど。


どうしてだろう。

くだらない法律って沢山あるのに。

贅沢な法律って沢山あるのに。

この世にはもっとしちゃいけない犯罪が沢山隠れてるのに。

みんなの願いは同じで「幸せになりたい」だけなのに。


どうしてうまくいかないんだろう。。

どうしてみんな一緒に幸せになれないのかなぁ…



恩田 陸
麦の海に沈む果実