何を書こうかずっと考えていたらこんなに日にちが経ってしまった。
昨日、今年度(18年度ってこと) 最後の試験が終わった。
1年の単位を全て取得して、実技のテストに合格していれば進級。
大学3年になれば、あたしは本格的に20歳としての人生を歩み始める。
11月24日のあたしはすごくぼーっとしていた。
思ったよりもあっさりとその日を迎えた。
大人になることは何かの代償を払うこと、
何かと決別してけじめをつけること、我慢することだと小さい頃から思っていた。
だけど、その日はあたしにとってとてもあっけなく訪れたのだ。
その事実はあたしをガッカリさせ、安堵もさせた。
別の日記にも書いたのだが、あたしは成人式に出席をしなかった。
友人などからなぜ出席しなかったのか?と聞かれると
「翌日が帝国劇場に大好きな人を見に行く日だったからそれどころじゃなかった(笑)」と答えたが、
本当の理由はもちろんそんなところじゃなかった。もっと単純で、もっと深いところにある。
成人式に出席することが新成人の最初の義務だと思う人もいるかもしれない。
そういう人には悪いのだが、
あたしは自分がなにも成長していないのに成人式に行くのが面白いと思わなかったからだ。
小さなところでは変化をしていると思っている。
小学生や中学生だったアノ頃のあたしに比べれば、そりゃ当然色々と成長している。
だけど、根本的な人生の歩き方において、あたしは何も変わっていなかった。
夢をなにひとつ叶えていないのだから。
「大人になったら何になりたい?」
小さい頃によく聞かれた質問だ。
今思えば、この質問は大人が子供に夢を託したかったがためだけのにすぎない。
子供の希望に、大人があやかりたかっただけのような気がする。
とにかく、この「夢」とやらをあたしはなにひとつ叶えていない。
あたしは今も昔も学生だった。親に養ってもらっている。今も昔も変わらずに。
むしろ、今の方が学費のムダに高い大学に通わせてもらっている分、
親にかけさせている負担は大きい。
あたしはずっと学生だった。あたたかな家族によって毎日が保障された学生だった。
小さい頃から「大学生」という存在は知っていた。
小さい頃から「大学生」になろうとは思っていた。
ただ、小さい頃のあたしは気づかなかった。
大学生になったら、大人になった時も学生に変わりはないということを。
成人=大人だと思っている。
だから、夢を叶えて、自分の稼ぎで食べれるようになったら、
あたしは人に成る気がする。
だからまだ成人式なんて行けない。行ったって意味が無い。
昔の友人に会うために出席するなら逆にもったいない気がした。
あたしがダメだと思った。まだ行っちゃいけないと思った。
そんなに深く考えるのはバカげてるかもしれない。
あるんだから行けばいいのにって思うかもしれない。
それでもあたしはなんだか嫌だった。自分がミジメな気がした。
もう社会人として立派に働いている同級生もいるだろう。
親に養ってもらってのうのうと学生を続けてる自分は、なんだか劣ってる気がした。
世間一般では20歳は大人だ。成人だ。自覚を持て。
だけどあたしはまだ幼い。まだ未成年みたい。
足りない。足りない。何もかも。まだ欠陥だらけ。
もっと強くなる。もっと高く飛ぶ。そしたら胸をはって「人に成った」と言いたい。
いつか互いに 大きな花を 綺麗な花を 咲かすと決めた
変わらぬ空に君を映して 上手く飛べたら高く飛べたら
ツバサ広げて秋風越えて
夢を手にして 会えたなら共に笑おう
会えたなら共に笑おう
アンダーグラフのツバサの歌詞の本当の意味を知った。
大人について考えていたら、この曲がよぎった。
- アンダーグラフ, 真戸原直人, 島田昌典
- ツバサ