「みらいいろ」


(二)

駅から、徒歩約10分のところにある安アパート。

ここが、今の僕の城だった。

今日はバイトがないから、路上ライブが出来る。

バンドは辞めたくせに、未だにこんな事をやってるのは、やっぱり諦めきれてないって事なのかな。

笑っちゃうだろ?

今の僕をメンバーが見たら、どう思うだろう。

そんな事を思っている内に、辺りは夕闇が終わりかける時間になっていた。

僕は、アコースティックギターが入ったケースを持つと、狭い部屋を出た。

アパートの目の前にある自販機で、缶コーヒーを買う。

いつからか、これが路上ライブ前の、僕の日課になっていた。

ステージは、いつもの駅前の片隅。

歌い出す頃には誰一人居ないけど、一曲二曲と進む内に、一人また一人と増えていく。

「生きていれば良い事がある」とか、「頑張れば未来はきっと明るい」とか、我ながら苦笑いするような内容ばかりを歌う。

そんなの、自分が一番良く分かってる。

頑張ったって、何したって、どうにもならない事だってあるんだ。

あんなにも信じてた未来だって、今はただの絶望でしかない。

いつの間にか、僕は口先だけの、明るい事しか歌えなくなってたんだ。

歌い終わると、小さな拍手が巻き起こる。

僕は小さくお辞儀をした。

人波が流れていく。

僕は帰り支度をしながら、その波を眺めていた。

ふと、観客の一人に目が止まった。

僕は声も出なくなった。

そこに居たのは、バンドメンバーの一人であった、フジだった。

「みらいいろ」


(一)

春の気配を感じた。

今は三月頭。

ちらちらと、気の早い桜の蕾を見つけた。

とはいえ、三月の今の時期は、まだまだ寒い。

コートのポケットに手を突っ込んで、僕は隅田川の横の道を歩いた。

この街に来て、三年にはなるだろうか。

しがない田舎者の僕が、都会に憧れて上京なんて、まぁ、よくある話だ。

とは言っても、特に何が変わるでもなく、僕は相変わらず、退屈な毎日を過ごしている。

昔はもっと、楽しかったんだけどな。

僕は少し前まで、バンドをやっていた。

気の合う三人の仲間と夢を見て、先の事なんか考えず、上京してきた。

バイトとバンドを繰り返す日々を過ごしながら、いつまでもみんなと、未来について語り合ってた。

あの頃は楽しかった。

若者らしい無鉄砲さや、希望に満ちた日々。

まだほんの、半年前の話だ。

バンドを辞めたのは、突然だったと、我ながら思う。

そのせいで、他のメンバーが居場所を失った事も知ってる。

だけどさ、どうしようもなかったんだ。

もう、ずっと前から気付いてた。

僕には才能が無いって。

バンドを辞めてから、僕は一度もメンバーに会っていない。

何度か連絡をくれるものの、出る事はない。

今更、どの面下げて会えばいいかなんて、分からないよ。

ふと、隅田川に映る、僕の姿が目に入った。

長い前髪に猫背の男が、そこに居た。

どこから見ても、陰鬱な奴にしか見えない。

バンドをやってた頃は、前髪を分けていたけど、バンドを辞めてしばらくしてから、僕は前髪を分けるのをやめた。

この世界をはっきりと見るのが、何だか嫌になったんだ。

視界は悪いけど、これといって、不自由もない。

そろそろ帰ろうかな。

そう思い、僕は帰路に着いた。

帰るのが勿体無い、不意にそう思った。

休憩がてら立ち寄ったコンビニの駐車場で、意味もなく開いていた携帯を閉じると、車のエンジンをかけた。

日が傾き始めた冬の午後は、どこか微睡み、寂しさが漂っている。

日差しはあるが、車内は冷え切っていた。

暖房をかけ、いつものように音楽を流す。

静かな車内に響く歌声は、聴く人の居ない客席に向けて歌われているようだ。

しばらくして、夕闇が辺りを照らし出す。

見慣れた道が、どこか異国の地の、見知らぬ町のように見える。

気付けば、海へと向かう道を走っていた。

海に呼ばれているのではないかと思う。

ここに来れば、このどうしようもない喪失感や孤独感も、その青と一緒に、水平線の彼方へと消えていくと、そんな幻想を常に見ている。

どこにでも行けるような、そんな錯覚さえ起きる。

自由とは、何なのだろうか。

そんな事を、よく考える。

どこにでも行ける事は、どこにも行けない事と、一緒なのかもしれない。

自由と不自由は、同一のものなのかもしれない。

そんな事に、いつも辿り着く。

自由とは、一番の囚われの身である。

いつだったか、誰かが言っていた言葉を思い出した。

思考を瞑想している内に、辺りはすっかり暗くなっていた。

遠くに灯る街の明かりが、冬の夜の空気の中で、ちらちらと光っている。

ふと気付けば、空は灰色の雲に覆われ、雨が降り出していた。

冬の雨は冷たく、夜の街を濡らしていく。

不意に、フロントガラスを叩く雨粒が変わった。

いつしか雨は、暗闇の中で舞い散る、白い雪へと変わっていた。

音もなく降りしきる雪は、この夜の闇で一人、去年の懺悔を数え始めた私を、静かに隠していくようだった。

そんな事を思いながら、今年初の雪の中を、どこに向かうでもなく、走り続けた。