さて問題は、意欲、関心とかの曖昧な評価項目。


よく言われるのが、先生に好かれている子は評価が高い。


うーん、そういう先生もいるかもしれないけど、みんながそうってこともないでしょう。それに、それを言っちゃあおしまいでしょう。。


そうは言っても、体育はまだ分かりやすいとして、美術、音楽などはたぶんうまい下手だけじゃないよなあ。5教科だってどう評価するんだろう?先生によっても違いそうだしなあ。聞かないと分からんなあ。


ということで、つぐみに評価基準を聞きにいくように勧めました。


でも、恥ずかしいし、周りにどう思われるか分からないから嫌だと。だよね〜。

思春期の子としては当然の回答ですね。うん、普通。自分だって行かなかったし。


聞きに行くかどうかは自分で決めていいよ。ただ、もし行きたい高校に高い内申点が必要だとしたら、そのための努力が必要だよね。やみくもに頑張ってもそれは自己満足だよね。目標に向けてやるべきことをやるのが正しい努力だよね。という話をしました。


しばらくして突然、美術の評価基準を聞いてきたと。自分の作品と5を取った子の作品を並べて、パッと見はどちらもよくできている。でもよーく見ると、細かいところの仕上げの丁寧さに差があるよね、あなたの作品はすこし雑だよね。と説明されたそうです。良くできているものは4、特に良くできているものが5だと。


この経験が目から鱗となったようで、目標にむけてやるべきことが明確になるスッキリ感というか、正しい努力の仕方を学びはじめた気がします。


苦手な歌では、先生にポイントを聞くことが歌のレッスンにもなり、上達すると逆に楽しくなって高校では合唱にハマっていました。

おお、これが意欲か。


また、家に持ち帰りたくないので美術や技術の作品は授業内で完成させる、宿題は学校にいるうちに終わらせる、結果、忘れることがなく、しかも提出が早いところはもともと評価されていたようです。


先生に聞きに行くことで自分の課題だけでなく、評価されているところも分かる。

自分の評価と他人の評価は違う、そして自分の評価は他人がするもの。独りよがりじゃ意味がない。だから聞かなきゃ分からない、ということに気づいたようです。


この経験は高校に入ってからも大いに役立っていたと思います。たぶん仕事についてからも活きるでしょう。


僕なりの結論

先生に好かれている子の成績が良いのではなく、目標に向けて正しい努力をしている子は先生とのコミュニケーションが増え、成績も上がり、結果として先生との仲が良く見える。(例外あり)