この1年半ほどずっと悩んでいましたが、やっと決めました。
プロとしてのFoosballを引退することを、ご報告します。
2004年からヘルニアを患って、3年前にはずれた箇所が2つに増え。
Foosをしながらも不安はいつも付きまとっていました。
それでもFoosballが大好きで、休暇はすべてFoosballのために取り、最低年二回は
海外遠征にも行っていました。
そんな自他共に認めるFoos馬鹿でした。
世界連盟が発足し世界ランキングが作られた当初は、最高位9位まで浮上して、World
Championshipへの招待選手になれる8位に一歩及ばずで、それでもいつかはと上位を
目指していました。
けれど2009年の職場の異動で練習する機会も海外遠征できる機会も減ってしまって。
海外勢に比べ、日本を拠点にしている限りは出場できる大会数が圧倒的に不利で。
そんな中、ランキング対象の国内の大会でも女子シングルが削除されることもあって。
結局のところ、モチベーションを維持することができず、自分の気持ちに負けてしまった
感じです。
取り敢えず、国内のOpen種目は全て優勝することができたし、アメリカでも優勝できた
ので満足かなと。
Foosballを大好きなことには変わりはないので、これからは勝つためのFoosではなく
楽しむためだけのFoosに。
国内の試合は・・・多分気まぐれでしか出ないかと。
********
振り返れば、1999年11月に初めてFoosballを触ってから11年5か月が経ち。
本当にいろんなことがありました。
(途中でビリヤードに浮気したこともあるけれど・・・。)
2003年が多分転機の年。
この年から国内の大会で入賞できるように。
大阪OpenでHiroshiさんとOpen Doubles準優勝が最初のトロフィーだったな。
その後Japan OpenのOpen Doublesも優勝できて。

初の女子種目がある大会が行われて、女子シングルス優勝。
この時からずっと女子のトップを走ってきたのだと思う。
初めてアメリカの大会に出場したのもこの年。
BryanとNo-pro DYPで優勝できたのも嬉しくて、それからアメリカ遠征にやみつきに。
ちまっこい女子が会場をうろうろしているといろんな人が話しかけてくれた。
アメリカのトッププレーヤー達や会長にも可愛がってもらった。
結局、アメリカで取れたトロフィーは4つ。


2006年には日本代表でドイツWorld Cup参戦。



2007,8年にはマレーシアはAsia Open参戦。


その他Foosの記憶はこちら。














キツイ性質だったし、トラブルメーカーだった(?)し、ホント色んなことがあったけれど、
思い返すと本当に恵まれていたし、幸せだったなと思う。
********
応援してくれた家族にありがとう。
不器用な私を根気よく教えてくれてありがとう。
すぐに折れそうな私の相談に乗ってくれて支えてくれてありがとう。
女子だからと甘やかさず、手を抜かずに本気で対戦してくれてありがとう。
私を目標だと言ってくれたあなたの前をずっと歩けずごめんなさい。
アメリカでパートナーだったLouisやBryan,Sergie,Lane。
日本人でよく組んでいたのはHiromiかシュウヤ,かっ君かな?
それぞれに面白い試合をありがとう。
私を取り巻く全ての人に。
沢山の想いと感謝を込めて・・・ありがとう。
プロとしてのFoosballを引退することを、ご報告します。
2004年からヘルニアを患って、3年前にはずれた箇所が2つに増え。
Foosをしながらも不安はいつも付きまとっていました。
それでもFoosballが大好きで、休暇はすべてFoosballのために取り、最低年二回は
海外遠征にも行っていました。
そんな自他共に認めるFoos馬鹿でした。
世界連盟が発足し世界ランキングが作られた当初は、最高位9位まで浮上して、World
Championshipへの招待選手になれる8位に一歩及ばずで、それでもいつかはと上位を
目指していました。
けれど2009年の職場の異動で練習する機会も海外遠征できる機会も減ってしまって。
海外勢に比べ、日本を拠点にしている限りは出場できる大会数が圧倒的に不利で。
そんな中、ランキング対象の国内の大会でも女子シングルが削除されることもあって。
結局のところ、モチベーションを維持することができず、自分の気持ちに負けてしまった
感じです。
取り敢えず、国内のOpen種目は全て優勝することができたし、アメリカでも優勝できた
ので満足かなと。
Foosballを大好きなことには変わりはないので、これからは勝つためのFoosではなく
楽しむためだけのFoosに。
国内の試合は・・・多分気まぐれでしか出ないかと。
********
振り返れば、1999年11月に初めてFoosballを触ってから11年5か月が経ち。
本当にいろんなことがありました。
(途中でビリヤードに浮気したこともあるけれど・・・。)
2003年が多分転機の年。
この年から国内の大会で入賞できるように。
大阪OpenでHiroshiさんとOpen Doubles準優勝が最初のトロフィーだったな。
その後Japan OpenのOpen Doublesも優勝できて。

初の女子種目がある大会が行われて、女子シングルス優勝。
この時からずっと女子のトップを走ってきたのだと思う。
初めてアメリカの大会に出場したのもこの年。
BryanとNo-pro DYPで優勝できたのも嬉しくて、それからアメリカ遠征にやみつきに。
ちまっこい女子が会場をうろうろしているといろんな人が話しかけてくれた。
アメリカのトッププレーヤー達や会長にも可愛がってもらった。
結局、アメリカで取れたトロフィーは4つ。


2006年には日本代表でドイツWorld Cup参戦。



2007,8年にはマレーシアはAsia Open参戦。


その他Foosの記憶はこちら。














キツイ性質だったし、トラブルメーカーだった(?)し、ホント色んなことがあったけれど、
思い返すと本当に恵まれていたし、幸せだったなと思う。
********
応援してくれた家族にありがとう。
不器用な私を根気よく教えてくれてありがとう。
すぐに折れそうな私の相談に乗ってくれて支えてくれてありがとう。
女子だからと甘やかさず、手を抜かずに本気で対戦してくれてありがとう。
私を目標だと言ってくれたあなたの前をずっと歩けずごめんなさい。
アメリカでパートナーだったLouisやBryan,Sergie,Lane。
日本人でよく組んでいたのはHiromiかシュウヤ,かっ君かな?
それぞれに面白い試合をありがとう。
私を取り巻く全ての人に。
沢山の想いと感謝を込めて・・・ありがとう。













行くったら行くっっっ





