(こちらの記事は、2003年から2004年にかけての不妊治療から出産までの回想録です)


それまでは、NICU24時間の看護があったので、逆に自宅に帰ってきてから心配で、ダンナさんと二人、意味も無く夜中に何度もちゃんと呼吸をしているか見に行く始末。


それに、今度は医者の診察にいくにも、ちょっと足りないものをスーパーに買いにいきたくても、ムスコくんを連れていかなければならない。。。って当たり前なんですけれど、初めの3週間はずーと病院にいたから、この大変さが全然分かってなくて、いまさらながら、”お腹に入っていてくれたほうが楽だった~“って真剣に思ってしまいました。



帰宅後1週間、生後1ヶ月の検診では、まだ標準より小さいけれど、問題なし。未熟児だったから、細菌への抵抗が弱いかもしれないから気をつけるように。とそこまでは理解できるけど、なんと小児科医の先生、”モールとか人が多いところは避けて、でも日光にさえ気をつければ、ビーチならいいよ“って普通生後一ヶ月のBaby連れてビーチいきます????思わず聞き返しちゃいました。ご本人はケロッと”うちの娘は生後2週間からビーチに連れて行ってる、細菌っていうのは人間の間と、モールとかは人が触ったものから感染するから、逆にビーチなら砂しかないから、うつらないでしょ?“ですと。。。う~ん、やっぱりちょっとそれは。。。




それからは、生後3ヶ月で通常の成長曲線に追いついて、それ以来、月齢児の身長・体重ともに平均以上の75%ラインをいっているムスコくん。ダンナさんの背が高いので、1歳半ぐらいのときに、会社の人達との集まりに抱っこしていったら、“そろそろ引きずるんじゃない?5歳ぐらいで身長抜かれそうだよ~”とからかわれました。


私自身はあれだけの思いをしたけれど、それでも元気で産まれて、育ってくれているムスコくんは本当にラッキーです。


そして2008年の12月。

5年前にIVFをしたときに14個の受精卵が出来て、10個は5年間の契約で凍結させました。


でも、迎えにいくことは出来ませんでした。

金銭的なこともあります。あれだけ欠勤が続いても私の職をあけて待っていたくれた会社のこともあります。それよりなによりも、私自身やっぱり仕事をしている自分が好きなのが判ってしまいました。さまざまのことがありすぎて、私の身体が2度目の妊娠に耐えられるか判らない。ということもあります。



でも、それよりも何よりも、またあの不安な心理状態で何ヶ月も過ごすことが私には出来ませんでした。。毎回の妊娠が全然違うというのも判っていますが、それまで動いていた子がある日見えないうちに、会えないうちに亡くなってしまっている、あの不安を抱えて、もう一度堪えられる自信がありません。


今でも、ムスコくんと同い年の甥っ子くんが2人で楽しそうに遊んでいたり、ディズニーランドで両側に一人ずつ手をつないで歩いたりしているときに、ふと、“2人がいたら、こんなだったんだなぁ~”って思うことがあります。


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長々とお付き合いいただいてありがとうございます。

こんなに月日が経ったあとで、やっと色々と書き留めることで出来て良かったです。

こうして振り返って、今ムスコくんがそこにいてくれるミラクルに感謝の気持ちで一杯です。