マーチブレイクからイースターウィークエンドまで、留学生が訪れて賑やかだった我が家。

留学生たちがそれぞれのステイ先に戻り、10年ぶりにハリファックスに帰ってきていた義妹たちと『たこ焼きパーティ』をしている最中、実家の母から父が最期を迎えたと連絡が入りました。

 

その日のうちにトロントへ移動し、翌金曜日にカナダを出発。土曜日の夜には京都に帰りつき、日曜日の通夜、月曜日の葬儀となりました。

 

留学生の皆さんやそのご家族には、少し連絡が遅れましたが、学校スタッフやホストファミリーには協力を御願いし、私が留守だった2週間を皆さんに守って頂きました。

そのおかげで、安心して父との別れも出来たことに感謝しています。本当にありがとうございました。

 

また葬儀の後に1週間滞在出来たので、母が行わなければならない手続きその他にも同行出来たので、一人残された母の事は多少心配ではありますが、安心して仕事に打ち込めそうです。


仕事一番の父で、毎日張り切って会社に出かけていた父の背広姿が印象的でした。

でも、凛々しく会社に行く父とは違って、家で見せる優しい父との思い出を少しでも形にして残しておきたかったので、ここに写真を載せたいと思います。

 

 

 

 

私を男の子のように育てた父。おかげでスポーツや山登りなど体を動かすことが大好きになり、昆虫や魚、動物が今でも大好きです。

 

 

 

 

中学・高校生の頃になると反抗期もあり、共通の話題が見つからず、父との会話がほとんどありませんでしたが、カナダに来た頃から私が大の苦手だった電話でも話すことが出来るようになりました。

 

 

 

 

そんな父に気に入ってもらえた主人。

まるで我が子のようですよね?笑

 

 

 

 

父は、私たちが結婚したころ、51歳でアイスホッケーにも挑戦しました。

ホッケー姿の写真が見当たらないのですが、いつか見つけたら載せたいところです。

 

 

 

 

主人の家族が住んでいたオタワを訪ねたり、

 

 

 

 

主人の母の実家があるプリンスエドワード島のコテージでは、お酒を飲んで大声で昔流行った歌を合唱して、はしゃぎました。

 

 

 

 

初孫であり、たった一人の孫を抱く姿は、今見ると何とも嬉しそう。

 

 

 

 

「おじいちゃんは、僕に甘いもん!」

と、まだ幼少だった息子に言われ、一度も怒ったことのない父でした。

私には、やかんが飛んできてたのに・・・。苦笑

 

 

 

 

 

お風呂に一緒に入っては、

「じいじいは、攻撃なしの防御なし!」

と言って、息子に頭から水をぶっかけられてました。

 

 

 

 

息子が3歳の時、オーストラリアへ連れて行ってくれました。

 

 

 

 

日本に住んでいた時は、週末ごとに会いに行き、夏は川遊びしてました。

 

 

 

 

カナダに私たちが越してからも、何度も遊びに来てくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

脳梗塞になる数か月前、暑い真夏に伊勢で海釣りを経験させてくれ、息子が絡めた釣り糸を文句ひとつ言わず、ほどいて教えてやってくれました。

 

 

 

 

 

最後の最後まで、我が家にいるブラックラブラドール、ブーマーに会いにカナダに来たいと言っていた父。ブーマーも高齢なのですが、父が亡くなってから5日間、体調を崩していました。

 

 

 

 

我が家のパティオから見える朝焼けを楽しむ父の姿。今でも脳裏に残ります。

 

 

 

 

私がツアーや留学生の仕事で忙しくなるまで友人たちと行っていたクラフトショーでは、母は陶芸を。父は書を出していました。

それを購入してくれた人が、翌年に額に入れた状態を見せに来てくれ、大喜びだった父。

 

 

 

 

この写真の翌々春、やはり癌で他界した私の親友、メアリー。

 

 

 

二人は天国で再会しているのでしょうか。

 

数々の思い出をありがとう。

 

人の一生は、長いようで短いもの。

その毎日を大切に、そして人との出会いを大切に生きていきたいと思います。