AC SAD | ::YELLOW BABE..to me::

AC SAD



わたしが患っている病気


アダルトチルドレン(AC)
社交不安障害(SAD)



幼少期の家庭環境の崩壊


1歳になったばかりのときに実母を事故で亡くして

それ以来、父と父方の祖母との生活

父はとても優しく堅実で
祖母も優しく家事と育児を母のようにこなしてくれた。

父の妹も我が子と変わらないくらい母のようにわたしに接してくれた。

母は居なくても、何も問題無く
暮らしていたような気がする。


そんなとき、
わたしが5歳頃に父が再婚した。

わたしは彼女にとてもなついており、保育園への送迎も彼女にせがむほどだった。
彼女は専業主婦となり、わたしも祖母もすぐに馴染んだ。

しかし、彼女はわたしが知らぬところで、ある新興宗教の熱心な信者だった。
子どもだったわたしもたまに感じる違和感・・・・子どもながらに異様な雰囲気を感じたことがたまにあった。

父に対して彼女は、毎晩寝室で執拗に宗教への勧誘をし、とうとう父がまいってしまい離婚した。
再婚は1年弱で終わってしまった。

当時のわたしは新興宗教等離婚の理由は全く知らず、子どもながらに離婚については触れてはいけない、自分は暗くなってはいけない、自分が家族を明るくしなければ、と必死だったことを覚えている。


それから小学校へ入学。

小2のときの授業で、家族の絵を描いてみんなの前で自分の家族構成を紹介し、母親から自分宛に手紙を書いてもらうという課題が出された。

わたしには地獄だった。

決死の思いで父と祖母と自分の絵を描き、みんなの前で紹介し、自分には母が居ないことも発表した。

相手は小2の子ども達、それは残酷で興味本位で飛び交う言葉。
なぜお母さんが居ないのか、なぜ死んだのか、お母さんが居ない意味がわからない・・・・
いろんな言葉が飛び交う中、わたしは必死に涙をこらえた。

母親から手紙を書いてもらうという課題も、父にお願いし、書いてもらった。
授業中に各自母からの手紙を黙読する時間を与えられ、わたしは父からの手紙で号泣した。母を亡くしてからの、父のわたしに対する想いが溢れんばかりに綴られていたから。
このときも、子どもとは残酷なもので、わたしが泣いたことを疑問に思い質問攻めにあった。彼らは全く悪気が無いから厄介・・・わたしは子どもながらにそう感じた。


それから2年後、わたしが10歳のときに再び父が再婚した。


前回とは違い、わたしは全くなつかなかった。
再婚相手もわたしを毛嫌いし、扱いは雑で冷たい態度だったことを覚えている。

彼女はとても気が強く、祖母もわたしも馴染まなかった。

再婚後も彼女は仕事を続け、祖母が家事全般をこなしていたが、祖母に対して感謝の言葉や労いの言葉をかけたことはない。
そんな女性だった。

わたしは彼女が帰宅したあとの自宅がとても居心地が悪かった。
息がつまりそうな生活だった。

再婚から2年後、腹違いの弟が産まれ、わたしへの態度は更に悪化した。

毎日知らず知らずのうちに気を使い、食卓での会話も言葉や話題を選びながらで大変窮屈なものだった。
そんな毎日に疲れながらも小6の自分は逃げ出すこともできず、連日彼女の顔色をうかがいながら過ごした。

再婚から4年経った頃、前々から口論になることがしばしばあった彼女と父の喧嘩がエスカレートしていた。

夜遅く、わたしが眠りにつく頃になるとリビングから聞こえる怒鳴り合う声と激しい物音。

泣きわめく1歳の弟をあやしながら、泣きながら死にたいと嘆く祖母の背中をさすることが毎晩続いた。

そんな中、わたしだけが父に呼ばれ切り出された離婚の相談。
中2だったわたしにはあまりに重すぎた。

まだ1歳だった弟を想うと、母親に引き取られ父親の居ない子になる・・・・将来わたしと同じ境遇になることを考えると、可哀想でならなかった。
毎日とても辛く、彼女が出て行けば我が家に平穏な暮らしが戻ることは分かりきっていた。
でも、弟があまりに不憫でわたしは離婚を反対した。

結局、それからしばらくして彼女と弟は出て行き、間もなく離婚が成立した。

わたしは本当に疲れ果てていた。

当時の担任の先生がわたしの異変に気づき、話を聞いてくださった。

家族の前で泣けなかったわたしが、先生の前で号泣した。

それまで誰にも打ち明けられなかったことを全て吐き出して心がすっと軽くなった。
毎晩繰り返される夫婦喧嘩、弟の夜泣き、祖母の嘆き、わたしは毎日睡眠不足で登校していた。
先生に打ち明けた朝、先生の計らいでそのまま早退し帰宅。
やっとぐっすり眠れた。



それからは父は再婚することもなく、今に至る。


父はわたしに母親が必要だと考え再婚を繰り返したのだと子どもの頃から感じていた。

だから父を責めることはできなかった。



その後、わたしは高校へ進学したが中退。通信制高校へ編入し4年かかったが19歳で高卒の資格をとった。

高校時代にSADを発症。
結局はそれが原因で中退。
通信制高校に編入する頃には回復し、飲食店でのバイトに明け暮れ毎日とても楽しく充実していた。


そしてその後度々軽い発作に見舞われたが、通院するほどでもなくやり過ごしてきた。


それが先月末の通勤中の電車で突如強い発作を起こし、途中下車しコンビニのトイレに駆け込んだ。

ひどく気分が悪く、過呼吸を起こしパニック状態だった。

出勤時間を過ぎても出社しないわたしを心配し、主任から着信。
しゃべるのもやっとの状態ながら状況を説明し、休暇をいただいた。

主任から病院へ行くことをすすめられ、翌日仕事を休み診察を受けに行った。
SADの完全な再発、ACであることも説明された。
対人恐怖もあり、人混みでも発作を起こしかねない状態のため2ヶ月の休職を医師にすすめられた。

わたしの病状も休職に関しても、職場が病院ということで他の職場よりはかなり理解を示してくれたと思う。


再発以前は実家を出て彼氏と半同姓生活だったわたしだが、休職中は実家に戻っている。

彼氏も心の病を患って服薬しながら仕事をしていることを出逢った頃に打ち明けられ、わたし自身も過去の経験やSADのことはすぐに打ち明けた。
だから、今の状況も十分に理解してくれて週2~3回は会いに来てくれる。

まだバスや電車や人混みで発作を起こすから、今は実家の周りを散歩したりのんびり過ごしている。
服薬も続けていて、睡眠障害も改善されたし社会復帰までもう少しだと思う。




今回のblogは自分の記録用

文字にすることによって、自分の頭の中を整理したかった。



もしも最後まで読んでくださった方がいらっしゃったら・・・・

駄文を最後まで読んでいただきありがとうございました。