平成30年6月4日  参拝

この日は三峯神社にお詣りしました。
実は「三峯行こう!」と思ったのがGWでして周りからそんな時はよした方が良いと止められましたww

すっかり忘れていたんですがまた「三峯に行こう!」な気持ちがムクムクと。

うちからだとぐるっと関越道花園回りで行くか圏央道の日高あたりから峠道を行くかどっちにしても「遠い!」

一人だからダムの上の交互通行な所も撮れないし山道ひたすら鼻歌も最後には出ません状態でした。


が!やっぱり思い立って行けて良かった!
朝8時過ぎの三峯は写真に人が写らない!
看板邪魔だけど。


奥宮の拝所も一人じめ。




日本武尊像。


随神門



社伝によれば、景行天皇の御代に日本武尊が東征中、碓氷峠に向かう途中に現在の三峯神社のある山に登って伊弉諾尊・伊弉册尊の国造りを偲んで創建したとされます。


御祭神は主祭神に伊弉諾尊・伊弉册尊、配祀神は造化三神の天之御中主神高御産巣日神神産巣日神と天照大神です。


景行天皇の東国巡行の際、社地を囲む白岩山妙法ヶ岳雲取山の三山を賞でて「三峯宮」の社号を授けたといいます。

役小角が三峰山で修業をし、空海が観音像を安置したと縁起には伝えられ仏教色が増し神仏習合のお社となりました。


東国武士を中心に厚い信仰を受け隆盛を極めますが新田氏が足利氏を討つため兵を挙げそれに破れると三峯に身を潜めた事から足利氏に社領を奪われ山主も途絶え衰退してしまいます。

八棟燈篭

140年もの長い間衰えていたところ、修験道者の月観道満が27年もの年月をかけ全国を行脚し復興資金をつのり社殿・堂宇を再建します。


のちに天台修験の関東総本山となり享保年間に日光法印という僧侶によって繁栄の基礎がつくられこのころ御眷属信仰も広まったとそうです。

神仏分離により寺院を廃し三峯神社となりました。

樹齢800年といわれる御神木、みんなが触ってるので皮がはげとるよ。


御本殿

祖霊社

国常立神社

日本武尊神社

伊勢神宮

ずらっと摂末社

神楽殿だけお色直ししてないのかな。




欲しかった御守り。

白い気守りが休止になってお知らせの看板がいたる所に立ってたけどマジで邪魔だったわ。

三ツ鳥居や銅鳥居に括りつけるなんてさ。

他の色の気守りが授与所にあったけど色が違うからって御神威が違うんかいな。


行きは運転に必死で止まらずにいったけど帰りは車を停めて一の鳥居から。

登山口になっていて以前はここからロープウェイがあったみたい。


ひたすら山道を走りやっとお昼御飯。

めっちゃ美味しいうどん。これで800円でした。

もう一人三峯はない!
と思っていたのに先日また行ってしまいましたww