たくさんのブログ記事の中から

廣中美智子のプロフィール記事を

読んでいただき、

本当にありがとうごさいます。

 

私の自己紹介をさせていただきます。

どうぞよろしくお願いします。

 

私は養豚農家の三女として産まれました。

姉とは13歳と10歳離れていたので

可愛がられたけど、

子供心に男の子が

欲しかったんじゃないかなぁと

思いながら育ちました。

姉たちとは姉妹という感じではなく

小3の時には、姉は二人とも

東京へ行き、

いつも一緒に居てくれた

祖母も亡くなり、

両親は動物が相手なので

とても忙しくて、寂しい思いを

してました。


 

その頃から食に走るようになり、

学校から帰ってくると自分で

おやつにラーメンを作って食べたり、

ケーキを作って食べたり。

 

そしてなんと!

小6で161㎝

63㎏‼

 

こうなると太ってるというより、

ガタイがでかい!

しかしその事で悩んで暗い

なんて事はなく、

男の子とケンカして

泣かせてしまうような

男勝りの人生が始まりました。


そこからも身体は横にどんどん大きく

なりました。

でも心は乙女だったので、

可愛い痩せてる女子になりたくて

今までダイエットも沢山しましたが、

長続きせず失敗し、

お金も結構かけましたえーん


 

私の小さい頃からの夢は獣医さんでした。

 

でも高校で思いっきり遊んで、

勉強もしなくなったので

成績は全然届かず

親にも浪人は絶対ダメ!と言われ、

もう一つの夢の北海道に住みたい!

を叶えて、網走にある

東京農大オホーツクキャンパスに

入学しました。

道内あちこち行ったことや、

大学生活のおバカな思い出は

またブログに書いていこうと

思ってます。


 

そして、主人は大学で出会った

二つ下の後輩。

三年半の遠距離恋愛を経て、

めでたく結婚ハート

 

農場での仕事を辞め、

群馬から誰も知らない静岡に

引っ越し二年後に長女を出産。


元々動物の仕事をしていたので

産めばなんとか育つだろうと

甘く考えてたら大間違いでした。

 

育児ノイローゼ気味に………

幸せのはずなのに、主人にもあたり、

夜泣きがひどい我が子にどなったり。

自分が情けなくて、

自己嫌悪の毎日でした。

 

そんな時、親友から

「良いブラがあるよ。

授乳中はバストが崩れてしまうから

ちゃんと着けな」

と言われました。

「めんどくさいから要らない!」

と言ったけど、

彼女は25歳で出産して

断乳したらEカップのバストが

スリッパみたいになってたんです。

私は申し訳ないけど、

そうなりたくないなぁって思ってました。


その彼女がこのブラでバストが上がり

感動して公務員を辞めて

この仕事をやってたんです❗️

だから  どんなブラ⁇

とは気になってました。

 

そんなに言うならと、着けてみたら

5㎝あがってびっくりびっくり

何より着け心地がとっても

良かったのです。

ワイヤーの跡が黒ずんで、ブラなんて

こんなもん!って思ってたので

ノンワイヤーにも感動しました。

そして最終的には脇にはみ出ててた

肉が入り、B85くらいだったのが

D75までいきました!


 

友達に、

「これはお店では売ってないし

世界一のノンワイヤーブラだから

教えてあげたら絶対喜んでくれる人

がいるから、これを持って外に出て

いっぱい友達つくろうよ」

と言われました。

 

そこから私の人生が

180度変わったのです。

マタニティースイミングで

一緒だった人にドキドキしながら

声をかけ、着けさせてあげたら、

「なにこれー?」って、

とっても喜んでくれて

買ってくれたのです。

人に物を売るなんてしたことなかったからもう嬉しくて嬉しくて。

そこからどんどん声をかけて

頑張ったし、いっぱい売れました。

そして私の身体もどんどんキレイ

になっていき、オシャレも楽しめる

ようになり、毎日嬉しくて

ワクワクしましたラブラブ

 

そこから下の子を妊娠して、

出産して、その間もゆるーく

できる時に仕事はやってました。

 

でもその後体調を崩すことが

多くなり、授乳もしてるし、

ただの育児疲れと思ってたのが,

実はバセドウ病だったのです。

そこからは薬を大量に飲まなくては

いけないので泣く泣く断乳しました。

薬の副作用が辛くて、太るし、

肝機能まで悪くなってしまったのです


病気知らずで、妊娠も出産も

全然何事もなく、

本当に元気が取り柄だったのに、

まさか私が病気になるなんて…

本当に落ち込みました。

かなりイライラして家族にも

当たってたと思います。

その時に長女が七夕の短冊に

「お母さんの病気が早く良くなります

ように」と自分の願い事ではなく、

私の事を書いてくれたのです。

それで、やっと目が覚めました。

死ぬわけじゃないんだから頑張ろう!って。


この病気になったのも

意味があるのかもと思って、

出逢えた方の為に役に立てるかも。

そう思えるようになって

仕事も頑張りはじめました。


今でもまだ月に一回は病院通いで、

良い時も悪い時もありますが

病気を受け入れ、

うまく付き合ってるので元気です爆笑



順調に仕事がうまく行き始めた頃、

突然主人の転勤の辞令が…

もちろん私の答えは

「単身赴任」でした。

でも私に仕事も生き方も教えてくれた

第2の母の代理店に

「仕方のない事で別れたならしょうがないけど、なんとか出来るなら家族は絶対一緒の方が良いよ」と言われました。

でも、家もあるし、仕事も順調だし、

行けるわけがない!そう思ってました


そして、その少し後に

東日本大震災が起こったのです。

家族が一瞬のうちに

離れ離れになってしまう

現実を目の当たりにして、

私は一緒に行くことを決めました。

長女小5、長男小学校入学の4月。

家族4人とネコ2匹での引っ越しでした


そこから私の仕事もほとんどゼロ

からだったので気持ちが焦ってました。

主人も朝早く出て、夜は11時頃の帰宅。

私の余裕もなくなり、

自分で決めて着いてきたはずなのに、

主人のせいで…と主人を責めて

ケンカばかりでした。

そして私はそこで一番大事な

子供達の気持ちを大事にしてなかったのです。


長女が中1の終わりに摂食障害になり

1ヶ月入院したのです。

「このままだったら死んでしまうよ」

先生から言われた言葉。

やせ細った身体を見て

私は自分を責めました。

もう仕事なんてしていられない…

初めてこの仕事を辞めよう…

と、思ったのです。

でも、沢山の人が長女を助けてくれ

たのです。

家族はもちろん、病院の栄養士さん

漢方の先生、病院の先生、

学校の先生、バレエの先生、

長女の友達、私の友達。

そのおかげで予定よりも

早く退院できて、日常生活に

少しずつ戻れるようになりました。


その時に代理店から教えて頂いた言葉

を思い出したんです。

「人にお節介を焼いてると、

その人からじゃなくても

必ず子供達に返って来るよ」


そうだった。

人のバストや体型の事なんて

本当はお節介かもしれない。

でもお節介を焼いてきたからこそ

長女は沢山の人に助けてもらえたんだ!

って心からそう思えたんです。

この仕事は素晴らしい❗️

本気でやっていこうと決めました。


そこから半年でまた静岡に戻り、

自分の事も子供達の事も

もちろん主人の事も

丸ごと受け入れられるようになりました。

何があっても家族で一緒に居れば、

乗り越えられると自信がついたのです照れ


そんな時間を経て、

長女は今はすっかり元気になり、

今年の4月に大学進学で仙台に行きました。毎日大学生活を満喫中です!

長男は中3でバスケ部を引退して

ただ今受験生です。

私も仕事の仲間も増えて、

よし❗️

ここからの人生は私の経験したことで

もっともっと沢山の人のお役に立てる

人生を送ろう!

と決めて新たなチャレンジとして

ブログを始めました照れ


私の夢は感動と笑顔を届けて、

幸せのお手伝いがしたい。

たった一枚のブラで私の人生は

180度変わり

とってもカラフルになりました流れ星

その想いをもっともっと伝えたい!


これからもっと沢山の人に出逢って

色んな色が私の中に入ってくると思うと

ワクワクしますラブラブ

何歳からでも自分育てをすれば

輝けるキラキラ

自分のバストやヒップに関心を

持つ事は自分自身を大事にする事に

繋がると私は考えています。

そして、自分を大事にする事が、

家族や友達や、

地域の人々も大事にする事だと

私は信じています。



ここから色々発信していきたいと

思いますのでよろしくお願いしますハート


長々と書きましたが、

ここまで読んで頂きありがとう

ございました爆笑