こんにちは、tenです。

アメブロ投稿、1563日目です。

ほんなら、今日は、何の日?


7月13日は、何の日で、

どんな出来事があった 日

なのか?記念日の由来や、

関連する 雑学、誕生花、

昔話に、郷土の玩具などを、

あわせて紹介していきますね。


突然のアクシデント、

ブログ、消えてしまい、遅く

なりました。ごめんなさい。


それでは、今日のお花

7月13日 の、誕生花



[花言葉 「 可憐 」

    《蛇苺 (へびいちご)》


バラ科の多年草で、草地・路傍に普通に

自生します。

茎は地上を這い、長さ約60cm。

葉は3小葉から成る複葉。

果実は紅色で、いちご のように見えます。

ヘビがつくので毒を連想しますが、

昔の子どもはよく食べていました。

口にするとほのかな甘みが広がります。


ほんなら、今日の記念日


『豆相人車鉄道開業』


(これは、車両なのか?ハコなのか?)


明治28年7月13日

豆相人車鉄道 の 

吉浜〜熱海間 10.4kmが、

開業しました。

明治29年には、小田原まで延伸

しています。


発案は甲武鉄道開業などにも尽力した

甲州財閥の雨宮敬次郎です。

鉄道開通には困難が伴うため、便宜的に

人が客車を押すという、人車鉄道

採用されました。

「投機界の魔王」と呼ばれた

雨宮 ですから熱海の発展を見抜いて

いたのでしょう。

明治40年に蒸気機関車が走る軽便鉄道に

変更しました。


ちなみに、明治時代には藤枝焼津間軌道、

江別町営人車軌道など、国内に全部で

29 の人車鉄道の路線がありました。


『盆の初日(盆迎え火)』



仏教行事の「盂蘭盆(うらぼん)

祖先を崇拝する思想が、お盆 を

生みました。


地区によって旧暦の7月15日、

新暦の8月15日と、様々ですが、

かつては東京近郊などでも、

新暦7月15日で行われていました。

13日夕刻 の 野火を迎え火

(むかえび)と、呼んでいます。


『後鳥羽上皇隠岐配流』


(後鳥羽上皇を祭神とする、隠岐神社)


承久の変に破れた後鳥羽上皇

(1180〜1239):第82代天皇)。

鎌倉幕府の公的な文書でもある

『吾妻鏡』に、よれば、

承久3年(1221年)7月13日、(旧暦)

鳥羽の行宮(あんぐう)を出発した、

後鳥羽上皇の一行は、7月27日出雲の

大湊に至り、大湊から隠岐へと出立、

8月5日に隠岐国阿魔郡苅田郷に、到着

しています。

源福寺境内の、仮の御座所で和歌を主な

慰めとして19年を、すごされましたが、

寺は明治の廃仏毀釈で失われてしまい

ました。

隠岐には後鳥羽上皇の崩御700年

執り行われた、

「後鳥羽天皇七百年祭」の年

(昭和14年)に後鳥羽上皇を祭神とする

隠岐神社が創建されています。


それでは、きょうは、

     イソップ童話!

7月13日 の、イソップ童話



『小ガラスとハト』


 ハト小屋で、美味しいエサをたくさん

食べているハトを見た小ガラスが、

「ぼくもあのご馳走を、食べたいな」

と、思って、黒い羽を白く塗って

ハト小屋に入っていきました。

 小ガラスが黙っている間は、ハトたちは

羽の色だけ見てハトだと思ったので仲間に

入れてくれました。

 ところがある時、小ガラスはウッカリして、

「カァ」

と、鳴いてしまったのです。

「あれっ、変な声でなく奴だ」

   ハトたちは。この小ガラスを追い出して

しまいました。

 小ガラスはハトたちのご馳走が

食べられなくなったので、小ガラスの

仲間の所へ帰ってきました。

 しかし小ガラスは、

「おや、変な白い鳥だ。追い返せ」

と、突き出してしまいました。

 こうして小ガラスは欲張ったために、

ハトのエサも小ガラスのエサも

もらえない事になったのです。


このお話は、自分の

持っている物だけでなく、

他人のものまで手に

入れようと欲張ると、

最後には自分の物も

失ってしまう事があると

教えています。


       (おしまい)


ほんなら、今日の郷土玩具

今日は、後鳥羽上皇が、

隠岐に、配流された日、

なので、隠岐島の郷土玩具

探してみました。

隠岐の駅鈴

                (出雲市)



駅鈴は大化の改新で、新しく

設けられた駅制の遺品で、官吏の

公務出張の際に朝廷より支給されました。

官吏は駅でこの鈴を鳴らし、駅子(人足)と

駅馬または駅舟を徴用・徴発しました。

平安中期には姿を消してしまった駅鈴だが、

後世、江戸中期の国学者、本居宣長が、

松平周防守はから拝領した、

隠岐国造家伝来の駅鈴(オリジナルは

銅製)の模鋳品のように、駅鈴を写した

金属鈴は多数作られていたようです。

一方、駅鈴型土鈴が作られるように

なるのは昭和初期の土鈴ブームからで、

今では出雲や隠岐など島根県内ばかりでなく、

三重県の松阪や四日市など各地で

焼かれています。土鈴の二面には、

「駅」と「鈴」の文字の浮き出しが

あります。

大きい鈴の高さは7bm、です。


それでは、今日は、この辺で。


現在のように、手紙、便り、電話、

携帯、メール、ライン、

連絡には、ことたりませんが、遠い昔々から、

遠くの人に、近くの人に、想いを伝えたかった

んですね。

改めて、思ってしまいました。

職場の仲間に、学校の友達に、でも、

一番近くの、家族 に、

報、連、相、

ほう(報告)

れん(連絡)

そう(相談)

とても、大切なんだなと…。

 

ほんなら、今日も、みんなに、

「迷惑かけて、ナンボや」と、

ホウレンソウ!

がんばりどころだよ!

こんにちは、さようなら、

いつも、ありがとう!

ごめんね!ありがとう。

😒 😨 😤