こんにちは、tenです。
◉ラップは何を包むもの?
『脱出の日』
その他の記念日や出来事など
ほんなら、今日は、日本民話!
アメブロ投稿、696日目です。
それでは、今日は、何の日?
2月26日は、何の日で、
どんな出来事があった 日
なのか? 記念日の由来や
関連する雑学をあわせて
紹介していきますね。
(包むの日)』
「ラッピング
の日
(包むの日)」
「2(つ)2(つ)6(む)」の、
語呂合わせから、株式会社 包む が、
制定した記念日です。
東興資材工業 も、2月26日を「包むの日」
に制定しています。
大切な人に感謝の気持ちをこめて贈り物を
包み、楽しさと豊かさを届ける日とされて
います。
ラッピングの日にちなんで、
ラッピング(包装)に関する
雑学を紹介!
◉プチプチの正式名称
包装するときに緩衝材として使われる、
プチプチ(気泡がついた透明のビニール
シート)の正式名称は、
気泡緩衝材(きほうかんしょうざい)
です。
プチプチというのは川上産業が製造している
気泡緩衝材の商品名なのです。
(エアーキャップやキャプロンなども気泡
緩衝材の商品名)
ちなみに、気泡緩衝材はツルツルの面と
ツブツブの面のどちらで包んでも衝撃を
吸収してくれるので、裏表を気にする
必要はないのです。
ラップはもともと戦場で活用
されていました。
ラップは銃や弾丸を包んで湿気から
守ったり、靴の中敷きにして湿地で
活動する兵士を水虫から守ったり
するために使われていたのです。
食品を包むのに使われるように
なったのは、ラップの製造メーカーで
働いていたラドウィックとアイアンズの
妻たちがレタスをラップに包んで
ピクニックに持っていったのがきっかけ
でした。
ラドウィックとアイアンズは、ラップが
食品の保存に使えることに気づいて、
食品用のラップを作りはじめました。
その商品は、きっかけを作った2人の妻
「サラ」と「アン」に
ちなんで、「サランラップ」
と名付けられました。
『フロリダの
グレープフルーツの日』
2月26日は、
「フロリダグレープフルーツ
の日」
フロリダ産のグレープフルーツを日本で、
ピーアールするためにフロリダ州政府
柑橘局が制定した記念日です。
記念日が2月26日なのは、フロリダ産の
グレープフルーツが2月に旬を迎えることと、
26を「2(ふ)6(ろりだ)」と読む
語呂合わせに由来しています。
ちなみに、グレープフルーツは、
ブドウ(グレープ)の房のように
実をつけることから、
「グレープフルーツ」と呼ばれる
ようになったのです。
「脱出の日」
1815年の2月26日は、エルバ島に島流しに
されていたナポレオンがエルバ島を脱出
した日に、なっています。
この後、パリにもどった、ナポレオンは、
群衆の支持を得て、再びフランス皇帝の座
に返り咲いたのです。
◉ナポレオンとスーツの関係
スーツの袖ボタンのルーツはナポレオンだと
いわれています。
ナポレオンがロシアに遠征した時、部下たちが
軍服の袖で鼻水を拭うのを見たナポレオンは
このみっともない行為を何とかやめさせようと
考えました。
そこで思いついたのが、袖にボタンをつけて
鼻水を、拭づらくするという方法だったのです。
▪️血液銀行開業記念日
日本初の血液銀行である、
日本ブラッドバンク
(後の ミドリ十字)が、開業
した日だからです。
▪️ニ・ニ六事件
陸軍青年将校がクーデターを
起こそうとした、
「ニ・ニ六
事件」
が発生しました。
▪️サンケイスポーツ創刊
1955年の2月26日、
産経新聞大阪本社が
スポーツ紙の「サンケイ
スポーツ」を、創刊
しました。
▪️ニンテンドー3DS発売
2011年の2月26日、
2011年の2月26日、
任天堂が携帯型ゲーム機
「ニンテンドー 3DS」を
発売され
ました。
ほんなら、今日は、日本民話!
2月26日の、日本の民話。
『おりゅう柳』
(兵庫県の民話)
の高柳という所に、とても大きな柳の木が
ありました。
そね高さは四十間(→約72メートル)、幹の
まわりはニ丈三尺(→約6.9メートル)という
大きさで、五百年も前からそこにあるという
事です。
秋になると、この柳の落葉は遠く一里
(いちり→約3.9キロメートル)も離れた九鹿村
(くろくむら)まて舞い下りていくのです。
その九鹿村に、おりゅうという美しい娘が
いました。
おりゅうは高柳の造り酒屋に女中として
奉公(ほうこう)しており、暇を見つけては
柳の木の下で過ごしていました。
それを見た村人たちが、
「おりゅうは、柳の木の嫁さんだ」
と、言うほどです。
また村人たちは、こんな歌も歌いました。
♪夕焼け小焼けの、紅かね(→お化粧)つけて
♪九鹿娘は、どこ行きやる
♪風もないのに、柳がゆれる
♪娘恋しと、夕焼けに
♪柳の下には、殿ごがお待ち
♪おりゅう、いとしと、抱いてねた
♪娘ぬれてる、柳の露に
♪髪のほつれも、しっぽりと
やがて、おりゅうは、可愛らしい
男の子を生みました。
すると、誰もが、
「あの赤ん坊は、柳の木の精の子に
ちがいない」
と、思ったそうです。
その男の子が五歳になったある日、
京都で三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)
のお堂を建てるため、柳の大木を
棟木(むなぎ)にするから切り出す様に
との命令が下りました。
それを知ったおりゅうは、悲しくて毎日
泣いてばかりでした。
やがて柳の木に、木こりたちがオノを
入れる日がやってきました。
カンコン、カンコン・・・。
次の日、木こりの棟梁(とうりょう)が
柳の木を見ると、昨日オノを入れたはず
なのに、切り口がふさがっているのです。
「あれ?おかしい?昨日、オノを入れた
はずだが」
棟梁は首を、傾げながらも、
木こりたちにもう一度オノを入れる様に
命じました。
カンコン、カンコン・・・。
木こりたちは昨日よりも深い切り口を
入れて、その日は帰りました。
ところが次の日になると、また切り口が
ふさがっているではありませんか。
「馬鹿な!」
棟梁は、不思議で、たまりません。
こんな事が何日も続いたある日、棟梁は
こんな夢を見ました。
棟梁のもとへヒョロヒョロとやせた
ヘクソカズラ(→アカネ科の蔓性多年草)が
やってきて、こう言うのです。
「あの柳の木は、木の殿さまです。
だから夜中になると、家来のヒノキや松が
集まって切り口にオガクズをつめている
のです。
そうすると、オガクズは切り口の中で
固まって、元のようになるのです。
わたしも殿さまを助けようと、
オガクズ拾いに来たのですが、ヒノキや
松に、『お前は、木の仲間じゃない。帰れ!』
と、言われましてね。
それがくやしくてくやしくて、だから
言いつけに来たのです」
次の日、棟梁は切り口からこぼれた
オガクズを、全部燃やして帰りました。
その次の日、切り口はふさがることなく、
そのまま残っていました。
「よし、これで切り倒せるぞ」
棟梁は毎日オガクズを燃やして帰り、
ようやく柳の木を切り倒すことが出来た
のです。
すると不思議な事に、突然、おりゅうが
死んでしまったのです。
さて、やっと柳の木を切り倒したのですが、
今度はどうしても柳の木が動きません。
馬に引かせても、力自慢の大人が何十人で
引いても、丸太になった柳の木はびくとも
しないのです。
「せっかく切り倒したのに、これでは
とうしようもない」
「何か、良い手はないか?」
「そうだ。おりゅうの子に頼もう」
棟梁の命令で、村人たちがおりゅうの
子どもを呼びにいきました。
おりゅうの子どもは母親を亡くして
しょんぼりしていましたが、村人たちに
頼まれるとすぐに、きました。
そして柳の木をなでながら、
こうささやきました。
「ここには、もうお母さんはいないよ。
ぼくと一緒に、都へ行こう」
そのとたん、丸太になった柳の木が、
ゴロゴロと動き出したのです。
そして柳の木は、おりゅうの子どもと
一緒に、京都まで行って、三十三間堂の
棟木になりました。
(おしまい)
ほんなら、今日は、この辺で、
柳の木は、木の殿さまで、
ずいぶんと、長生きしてはった
ようですが、
日本には、有名な長生きの木
「縄文杉」(推定樹齢2000年
〜2700年)が、ありますが、
世界一の長生きの木は、
アメリカに、今なお
ご健在です。
「ブリストル・コーンパイン」
世界最古の生命体、
日本名 イガゴヨウ、
世界最古の樹木は、
樹齢 4700 年の記録を
更新し続けています。
のような、お姿ですね。
ほんなら、今日も、私達には
まだまだ、できる事があると、
信じて!、頑張って
いきましょう。
それでは、こんにちは、
さようなら、 いつも、
さようなら、 いつも、
ありがとうございます。
(((o(*゚▽゚*)o)))♡