昨日 通院のためにバスに乗ろうとしたんだけど

 

 

バスが来なかった。(笑)

 

 

笑いごとちゃうけど。

 

 

JR駅に行くためのバスは18分。

私は5分前の13分にバス停へ。

バス停へ行く道中、

バスの後姿が見えた。

 

え?

嫌な予感。

 

いや

18分のバスが12分に来ないよね。

 

あれはきっと回送。

始発駅からすぐのバス停に

そんなはやく着いてしまうわけないじゃん。

 

 

バスは来ない。

 

24分に私鉄駅に行くバスが来たので

とりあえず乗った。

 

始発駅から徒歩5分のバス停に

6分も遅れないし

なんなら他に車も走ってないし
角を曲がったら

始発駅が見える距離だし。

 

 

それに 

18分の次のバスは52分なんやもん!

 

 

おそらくミスなんだと思う。

運転手の。

 

うっかりなのか

いい加減なのか知らんけど。

 

 

非常に大迷惑をした。

私は

交通事情の悪いところに住んでいて

時間には余裕を持って行動しているので

予約時間前に到着できましたが
私鉄からJRへのバスに乗ったので

余分な交通費がかかるし

気持ち的にあせりまくるし。

 

18分のバスに乗れていたら

はやめに着くので

お茶を飲むか買い物をしたかったんだけどね。

 

 

大迷惑したバス移動中

私は ふと 気がつきました。

 

 

私の不満(怒り)の沸点の低いのものは

「時間」だと。

 

 

私は「自分の時間」を奪われるのが

たまらなく嫌みたい。

 

 

やりくりして作った(作ろうとした)時間

楽しみにしていた時間

自由な時間

 

 

それを奪われると

ものすごーく 腹がたつ。

 

これだけは

「まぁいいっか」 になりにくい。

 

 

待ち合わせに遅れて来られるとか

家族の帰宅が遅いとか

やむを得ない事情があるときは

「しょうがないわね」

「それはお互い様」

と、全く何も不満に思わないけれど。

 

 

私は私の自由な時間を過ごすことに

とても幸せを感じている

ひとりの時間がほしい

 

と、強く強く思ってるんだね。

 

 

記憶を手繰り寄せて

考えてみると

子どもの時からずっとだわ。

 

 

昔 

子育て中に

お乳をあげながら 生協の注文書を見ていたら
「子どもの顔をみて授乳しろ」と

ダンナにたしなめられ

ものすごく悔しかったなぁ。

 

授乳の一日8回、注文書を見てるわけではなし

ちょっとほっこり自分の時間がほしかっただけなのに。

注文書を見る時間が欲しかっただけなのに。

 

ほな

子どもを抱っこしたままテレビ見るなよ

とダンナに言いたかったけど

我慢して・・・のみこみましたが(笑)

 

これは鮮明に覚えてます。。。

 

 

他にも

家族の都合に合わせて生活をしていて

ふとしたことで

自分の時間をなくした時に

 

なんか わたし めっちゃ怒ってたな。

 

 

仕事をしていた時もそう。

 

 

オフに休むために

めっちゃ努力をして

残業したのに

 

当日欠勤したうえに

翌日ちゃら~んとええ加減に仕事されたら

許せなかった。

 

休んだことにではなく

ちゃら~んとしていることに。

 

私の時間 返してよ!

胸ぐらつかみたい気持ちだった。

 

 

なんで 私 心がせまいねんやと。

なんで 許してあげられへんのやろと

 

当時は

そういう自分を叱ったな。

 

 

思いおこせばどんどん出てくる。

時間への拘り。

 

 

もしかしたら

(きっと)

 

私は

縛られない時間がとても必要な人なんだと思う。

 

 

楽しみにしていた今日の私のオフは

なくなりました。

しょうがないことなので

怒っていなくて

 

じゃぁ

自由時間にこれはしましょう。

あれはやらせてもらいましょう。

 

プチ楽しみ。

 

 

でも

ちょっとゆーていいですか?

 

 

植物園に行きたかったなぁ。

 

 

私、やりたいことがたくさんある人なのかもね。